ガーン

 飼っている猫の調子が悪いので最近病院に通っていた。色々検査した結果肺に腫瘍があるっぽい。癌ってヤツかも。あっそー。そーなの。言われた瞬間は頭が真っ白になってしまっていたので、意外とガーンとならなかった。でも、こういうのはあとからじわじわ漏れ出してきて、徐々に生活を蝕んでいく。私は知ってる。

 だいぶ昔に犬を病気で亡くしたことがあって、そのときは感情がぐっちゃぐちゃになっていた。とくに母子分離ができていなくて、母親が落ち込んでるのを見たくなくてイライラして、私はずっと気丈にふるまっていた。今回はそんなことにならなかった。私も母も各々勝手に各々の方法で落ち込んでいる。私たちは成長している、という確かな実感。猫よ、お前は病気になってすら、私たちにまだ贈り物をくれるのか。

 猫が11歳になったとき、とうとう11歳になってしまったという現実が恐ろしくて「長生きしてくれにゃぁー」と声をかけた。そんなことは現実には効力をなさなかった。もしかしたら、ツイッターに「猫が夜中にカリカリを食べるbot」を作ったあたりから、私の直観は猫の異変を感じていたのかもしれない。猫がやがて飯を食わなくなるということの予兆を、五感のどこかで感じ取っていたのかも。でも、そんなことは現実には効力をなさなかった。まぁいいや。祈りなんてそんなもんだろ。

 ペットの終末はつらい。こんなに早く向き合わされることになるとは思ってなかった。本当にこれからどんどん弱っていくのか、コテツは。まだ、天然のアイラインに囲まれたクリクリの目はこんなにギンギンしてるのに。どうかコテツが手術適応になり、手術も大成功して、再び元気になって走り回り、ガツガツ飯を食ってくれますように。長生きしてくれコテツ。祈りなんて。でも、長生きしてくれ。