ここは退屈迎えに来て

また店長が変わるらしい。やんわりと時期店長の歓迎会の幹事を頼まれて、目玉をひん剥いてびっくりしてしまった。歓送迎会とか一切やらないドライなバイトだと思っていたからだ。何年勤めた重鎮が辞めてもなんも無し、だからこそ気が楽だと思っていたのにここにきて人が集まるのか。だがしかし、そう思っていたのは私だけで実は私以外のメンバーは和気藹々と定例飲み会とかやってるのかもしれない…。どっちにしろ、人徳が無いうえお局さんに蛇蝎のこどく嫌われている私にはできないだろうという思いが先立ち、「ほんとにやりたいんだったらもっと権力強そうな人に頼んだほうがいいと思いますよ」とか「あっもしかして店長送別会やってほしいんですか?w」とか言ってしまった。社会の通例として送迎会をやるのは下っ端、と思い出したのはしばらくしてからだった。私はひきこもって漫画ばかり描いていてマトモな人間として機能していなかった時間が長いので、こういう「通例」を知識として知ってはいても、自分の行動として沁みついていないのだなと改めて思った。まだまだ自分の気付いていないところで、沢山頓珍漢なこと言い、なんとなく周波数の合わない人として認識されているんだろうなと思うと心底ゾッとする。

ところで、「お局さんに蛇蝎のごとく嫌われている」とか書いておいて、今日の彼女の対応はフツーの人のそれだった。お局さんのやりたくない(と思われる)仕事を私がやるようにしたら対応がフツーになってきたのだ。心の中で酷いあだ名をつけてイライラしていた別の人のことも、別に好きでも嫌いでもないわと思った途端にどうでもよくなった。私がそいつに押し付けられていると思っていた仕事も、「次はやってくださいね(怒)」とお願いしてみると、「(怒)」がついていたにも関わらず気持ちよく分担してやってくれるようになった。蓋を開けてみれば寧ろ私が無理して抱え込んでいたみたいなカンジだった。なんだそりゃ。なんだったんだ。「(怒)」とかつけてしまってすみません。でも本当はたまたま相手になにかいいことがあって機嫌がよかっただけなのかもしれない。こんな風に私がなにかをした、考えを変えたからそうなった、というのも私の思い込みなのかもしれない。

私には世の中がわからん。わからんがピークに達して不安になってきたので、因果関係の整理されたものに触れたいと思い、帰りに前々から読みたかった小説を買うことにした。「『ここは退屈迎えに来て』っていう本ありますか?」と店員に尋ねる為に口にしたタイトルの音が、自分の声で耳に入ってくるとずっしりと重かった。なぜ私は初対面の年下のバイトの女の子に、いきなりど直球の本音をカマしているのだろう。ここは退屈迎えに来て。