椅子

子供の頃の私は椅子に座っていた。一族の一番の孫として生まれた子供に与えられた椅子だった。望む物が全て与えられた。男の子みたいに暴力的であっても許された。代わりに「勉強ができ、将来はよい大学を出ること」が条件として求められた。能力が追い付かず、責務を果たせなくなった私は、不登校になることで自ら椅子を放棄した。きっと引き摺り降ろされるよりはマシだと思ったのだ。

 

とても出来の良いいとこが生まれて大人になりつつある。いつもしゃんとして皇族みたいな笑顔を浮かべている。すごいがっこうにはいってすごいしょくぎょうをめざしている。さんねんかんつきあっているこいびともいる。椅子に相応しい人間だ。彼女になら椅子を譲ってやってもいい。でも、彼女は椅子になんて興味がないみたいで、とっくに自分の人生を自分の足で歩きまわっている。もう多分私よりずっと遠くにいる。

 

椅子に座りたい。椅子に座りたいよう。だって歩くのはしんどい。動きまわるのは怖い。どこへ行けばいいのかわからない。漫画を描いたり仕事がすごくできる人になったりして世間に認められればまた椅子に座れるのかな。家族の椅子は無理でも世間の椅子には座れるのかな。あの椅子に座らないと私、あの椅子に座りたいと思っていないと私。

 

そうして椅子に座っていた頃の私のことを思い浮かべると、いつも俯いて手の甲をつねっている。その子が、「寂しい」と言うことを我慢していることが、今はわかる。

うちはニーマンが好きなんや

セッションをスポ根に例える意見をネットでよく見ますけど、私は童貞文学だと思うんです。童貞が童貞ならではの葛藤したり調子に乗ったり叩き潰されたりする話だと思うんです。で、ラストシーンで晴れて、バリホモソーシャルの頂点に君臨するフレッチャー先生を越えて、超絶技巧を習得して、まぁこれから女にもモテだすだろうってとこで終わってて、サイコーじゃないですか。パラダイスじゃないですか。私はこのラストシーンを素直にカタルシスとして消費しつつ、一方で後ろめたさがあった。「おいおい気持ちわりーな!?」っていうことです。アンドリューは作中練習する→褒められる→調子に乗る→怒られる→逆ギレ→練習するっていうプロセスをずっと踏んでるだけで、全くメンタリティは成長しなかったじゃないですか。そんな状態でポンッと成功してしまうなんて、そんな虫のいい話、それこそ童貞の妄想を真に受けてしまうのはなんかバカみたいで嫌だなと思って。なので「プロドラマーになったアンドリューは10年後ドラッグ中毒で死ぬ。自分をドラマーにしたフレッチャー先生を愛したり恨んだりしながら死ぬ」と言い続けてきたんです。この童貞ソウルをぐらぐら揺さぶる気持ちのよすぎるラストシーンを享受するには、死ねば辻褄が合うと思っていた。

 

監督であるデミアンチャゼルが昔ドラムをやっていて、今ドラムをやっていないってことは、やっぱりアンドリューに自分の願望や妄想をモロに託してるわけじゃないですか。「あの時先生に認められたかったな」って。そしてアンドリューは監督を越えて向こう側に行ったじゃないですか。というか、セッションは私にとって「アンドリューは向こう側に行ったんだ」という物語だったんです。だからやっぱり、向こう側に一緒に行きたいなって思ったんです。そこで、向こう側ってなんだろうと考えました。単純に、「死」や、「第二のチャーリーパーカーになって活躍する」とかではない向こう側。


アンドリューはプロになってからも調子に乗って潰されて這い上がってを繰り返す。次第に意識的にしろ無意識的にしろ、フレッチャー先生の眼差しを試すような態度になっていくと思うんです。フレッチャー先生がどこまで自分を見ててくれるか、なにをしてもちゃんと叩き潰してくれるかどうか確かめるようなカンジで調子に乗ったり無茶をする。でも段々活動する場所が違ってきて疎遠になり、やがてフレッチャー先生は老いて一線から退く。そんなフレッャー先生を呼び戻そうとするように、アンドリューはキッズリターンのモロ師岡みたいな悪い先輩に近付いてドラッグを覚える。フレッチャー先生はやっぱりアンドリューのこと殴ってくれるんだけど、もうおじいちゃんだから全然パンチが痛くないんですよ。悲しいですね。そしたら余計にドラッグするじゃないですか。そして30歳前ぐらいになって奏者としても忘れられボロボロになっていく。


私の解釈のフレッチャー先生は、一流の奏者を育てたいから厳しくしているんだと心の底から思っていると思い込んでいるんですけど、無意識裏に二流の奏者としての嫉妬心で才能を潰してやりたいという悪意も持っている。ドラッグ中毒で病院送りになったアンドリューを見て、「ざまぁみろ」と思った先生は、初めて自分の中の悪意を自覚して驚くんですよ。病床で懺悔するかもしれない。アンドリューはなにそれ今更ふざけんなとフレッチャー先生を恨みますわ。でも、もう死ぬって手前のところで、フレッチャー先生のいないところで自力でスティックを握り始める。


アンドリューはおじさんになって、またプロになってるかもしれないし、音楽学校の先生になってるかもしれないし、ショボいジャズバーで演奏してるかもしれない。場所はどこでもいいんですけど、またドラムをしているんですよ。フレッチャー先生はもうお爺ちゃんなんで老衰で死にます。死の床で思い出すのはアンドリューのことではない。死なせてしまった生徒とか、愛する家族とかのことなんです。アンドリューは所詮フレッチャー先生の人生のワンノブゼムに過ぎないんですよ。でもアンドリューはドラムを叩いている。フレッチャー先生がこの世を去る瞬間も、去ってからもスティックを握って、のうのうと鼓動を刻み続けるんですよ。それがフレッチャー先生に対する最高の復讐と恩返しで、向こう側にいるアンドリューの姿だと思ったんですよ。そしておれのセッションのラストシーンはこれやなと思いました。

文章のリハビリ

漫画の気が滞っており、ブログの存在を思いだしたので、ぼちぼち文章を書くことを再開してみようかなと思います。どういう風に文章を出力していたか完全に忘れてしまったので、なんか前のと比べるとキャラクターがブレている口調になっておりますがご了承ください。

 

文章を書いていない間は漫画を書いておりました。久しぶりにいっぱい描いたり電脳マヴォに載せてもらったり出版社や出張編集部に持ち込んだりして楽しくやってたのですが、先日持ち込んだときからなんだかやるぞという気が萎えてしまいました。というか、漫画が描けている時は「気の巡り」が良いような気がするのですが、そいつが段々衰えて萎えてきているのをついに認めざるを得ない境地になったという感じです。

 

私は元々不登校だったのですが、理由を今改めて考えてみると、「私は特別な人のはずなのに、なんでこんな勉強についていけないのか?周囲からはスクールカースト最下位みたいな不当な扱いを受けないといけないのか?」という抗議行動として学校に行っていなかったのではと思い当たります。そのまま不登校の延長のひきこもりで、社会的に死にながら漫画を描いていたんですけれども、それで商業誌に声をかけてもらって、初めて、自分の設定している「特別な自分」が社会側から保障された気がしたんですよね。そのときの気持ちを再現したくて今まで持ち込みしたり投稿したりしてきたのかなって。最近思ってます。というか、思っていることを認められてきた感じがします。

だから、これから商業のラインに乗せてもらうためには今の自分のことをめちゃめちゃ改造しなきゃいけないということに、今のところ「しんどいな」って気持ちしか見出せないのかな。ちゃんと売りものになるものを作ってる人のことを見ると、なんかその、マジョリティの市場に合わせて改造するプロセスにも楽しみややりがいを見出してはるんですよね。私多分まだその段階じゃないです。自分の好きに描いたものを、沢山の人に好きって言われたい、言われるはずやのにおかしいってまだ思ってて、捨てられないでいます。

そこをね、「特別な人のはずなのに」という気持ちを、責めたり無いことにしたりしても仕方ないです。紛れもなく思ってしまってることなんですからね。人から見たらかなり気色悪いと思いますけど、自分の中の話としては、病的に自分を特別だと思わざるを得ない自分との付き合い方を考えてあげたほうが建設的なのかなと思います。まぁ、ちょっとどうしたらいいかよくわかんないですし、年上で眼鏡で理系で頭のよろしいお兄さんに「君は僕にとっては特別だよ(はぁと)」って言われたら、なにもかもうまくいく気がするなぁって気持ちが、まだ大きいですけどね…。

はぁーしかし、次これやったらどんづまってたなにかを突破できるんちゃうか!?って思ったところで止まってる感じもあるので、すごい揺り戻しな気もします。この場所から移動したいけど今はちょっと疲れてることだけが確かです。こんなこと考えてるときは大体「おれ、この物事に対してもうなんもできることねぇ…」って感じが先にあって、その言い訳をだだだっと考えてるだけだからね。

 

最近は、デザイナーもどきのバイトをしています。女だらけの大奥です。一人、口が上手いんだけど陰口をめちゃくちゃ言う女性がいて、その人の人格が私にインストールされ、プログラムから私の陰口が自動生成される感じになってきたので、もう辞めたいです。実はその人のこと最初はちょっと好きでした。漫画のことを応援してくれるって言ってたから。いや、さすがに、私を低賃金で利用するために調子いいこと言ってるだけだっていうのはわかってたんですよ。でも、わざわざ口に出して言ってくれるなんていい人だなってちょっと思っちゃってたんですね。この人陰口すっごい言うけど、私のことも絶対言ってるだろうけど、まぁ、人間やしそんなもんかなって。私その人の地雷をいつのまにか踏んでしまったらしくって。ある日を境に急に態度がよそよそしくなって。呼称が「○○先生」から「○○君」に部署内で一人だけ格下げ、こないだなんかついに名前間違えられましたよ。いや、デザイナーじゃない人がデザイナーのこと「先生」って呼ぶ現象、よく遭遇するけど、バカにされてるとしか思えないからやめたほうがええよって思ってたんですよ。思ってたんですけどね、ちゃんと。わ~、なにそれくっだんね~。いや~私、本当に対人スキル成長しませんね。ちゅーか、多分スキルは成長してるんだけど心が追い付いてないですよね。ちょっと煽てられるとすぐ気持ちよくなっちゃってこの人いい人~ポニョこの人好き~ってなっちゃって。ちょっと冷たくされるとこの人大嫌い~ってなっちゃって。感受性豊かかよ。もう辞めてさっさと次を探しますね。朝社訓を読むところはだめだ。具体的な憎しみを感じる。さようなら。この会社、大体嫌なことやびっくりすることばっかりだったけど、でも、ちょっとだけ楽しかったです。

「ヴァイブレータ」見ました

大森南朋、ほんま夢の男性やったな…邦画夢の男性ランキング10位以内に食い込んでくる夢の男性…ほとんど白に近い金髪がアイスクリームみたいなの。トラックの閉鎖空間で段々険悪になって「おりろキチガイ!」「バカ!もーしらない!」「嘘だよブス!」「バカー!!」とかの修羅場やるんだと思って色々覚悟してたけどそうじゃなくて、でもそうじゃなくて本当によかった…夢のまま終わった…。ワインもロクに買えなかったけど、フツーにワインが買えるだけのささやかな自主性を獲得して終わった。そこでワインは買っちゃうんだけどね…アル中だけどまだ買っちゃうっていうのが、レイは階段をやっと一段上っただけなんだなっていうのが逆によかった。

あと、男女カップルのラブシーンで最も美しい構図が、女が外で排尿してるのを見守る男の図だと思ってて、それもあったのがポイント高かったわ…。排尿はよいものです…。BLだとあんま成立しないと思いますからねこれは…。百合はいけるかな。でもここは身体の構造と普段使ってるトイレが違っててほしいんだよな…。

食堂のシーンはアレ、別に本心を見せ合ったわけじゃないと思うんだよね…。希寿の「結婚してない、娘もいない、ストーカーもいない」は、男が待ってるって嘘吐いたレイに合わせてあげた優しい嘘だと思ったんですよ。そんでレイもそれをわかってるんだなー…と思ってたんですが…。穿ち過ぎなのだろうか…。確かに最初は経歴偽ってたり勃起してないチンコ見せたがらなかったりして、見栄張って虚言する伏線はちゃんと張られてるだけに、私の認知が歪んでるだけなのかもしれないと思ってきた…。

とにかく希寿はべつによくわからねーままでかまわねーから…希寿の弱さをわかりたくてトラック乗ったわけじゃねーから結婚してて娘もいてストーカーもいてくれよ…夢の男性のままでいててくれよ…。

それと無線が出てきて執拗にやってたけど、今って無線使ってるのかな? Wi-Fi飛ばしてスカイプとか専用アプリで会話したりとかしるんだろうか運ちゃん…そうだったら趣がないな…。肌の説明、無線の説明、一見無関係なテキストが全部レイの心の説明みたいに聞こえんこともないっていうのもよかった。レイが無線について「遠くのものがはりついてくるみたい」って言ってたけど、インターネットがこんだけ日常に普及しちゃったからもうその感覚実感としてはわかんないなと思った。想像はできるんだけど。使うものによって更新されていく人間の感覚とか、電波飛ばして繋がりたい人間がこんだけ普及させたインターネットは次どこいくんだろうとか考えた。この映画ほんの13年前なのに…。もう、多分今の人だったら希寿もレイもスマホ持ってそうだから「ライン交換しよーよ!」とか言ってラストシーンのもう二度と会えない感が台無しになるで。

俳優亀岡拓次見ました

同じ監督の「ウルトラミラクルラブストーリー」がクソつまんな過ぎて途中で四時間寝たとか書いたんですが 、亀岡拓次はめっちゃ好きな映画だなと思いました。

 

安田顕さんの姿が大好きなので、安田顕さんのことを見ているだけで幸せになるというか…安田顕さんのアイドル映画だなと思いました。独身だから既婚の俳優さんより多少オシャレだったり(でも着替えはない)、おしっこの時必ずパンツまで下げたり、他人の好き勝手なアドバイスが的を得てるんだか得てないんだかよくわからなくてウーン?ってなったり、舞台の女優さんを好きな気持ちが挙動や言動からはそんなに伝わってこなかったり、芝居を注意されて聞いてるんだか聞いてないんだかよくわからない返事をしたり、必ずもらいタバコをするのは節約なのかもしれないけど、そこまでお金ないようにも見えないから、もしかして彼なりに人に甘える為の処世術だったりして…。とか、とにかく亀岡拓次について見て、考えるのが楽しかったです。虚構と現実がなんとなく混ざるのも面白かった。電車のアナウンスが全て英語で異世界感出てたり。見たあとは人生脇役な私でも生きてていいんだなーという気持ちになりました。なんかそういう時って、映画を見る前は気にならなかった売店のお姉さんとか、コンビニの店員さんとかにすごく存在感を感じます。あっこの人もこの人も、実は背景じゃなかったわ…みたいな。

 

そのあと噂のキンプリを見たのですが、ラストシーンの「イヤなこと全て忘れて空高く飛ぼう~(うろ覚え)」とか言って羽生えて空に飛んでった主人公と、砂漠の荒野を歩いていく亀岡拓次が、メッセージが綺麗にシンメトリーになっていて、前頭葉がジンジンしました。キンプリは開始前に隣の人に飲み物を零されて服が濡れたのですが、それが気にならなくなる程度には元気になりました。

私のシンク

私の部屋はワンルームにオマケみたいなキッチンがついてるのですが、このシンクがお湯を出す時「ボォーーーッ」と音がする。部屋を借りた当初からの症状で、ガス栓をあけにきたガス会社の人が「管理会社に連絡したほうがよいですよ。壊れてしまってからでは遅いですからね…」とか青い顔をして言うので、慌てて連絡して係りの人に来てもらう。ところがおにいさんが蛇口を捻っても捻ってもしれっと普通にお湯が出る。なんにも音がしない。おい、シンク、てめーは参観日で親がいる時だけちゃんとする悪ガキか。店長のいる時だけシャカリキで働く深夜シフトか。出先の社長からの電話だけ声の高さをあげて出るOLかよ。「どういう音がするんですか?」「あれっおかしいな…なんか、地の底の洞穴から聞こえてくるような、シンク全体が小刻みに震えるくらい、それはそれはおどろおどろしい音なんですよ…」「(苦笑)まぁ、給湯器の構造上、そういう音がしてるのかもしれませんね」なので謝り倒して帰ってもらう。なんでだろ。ガス会社の人がおかしいって言ってたのにな。ガス会社の人なんかもう百万回ぐらい初めてお湯の出る瞬間見てるハズで、その百万個のアーカイブと比較しておかしいと思った結果のおかしいのハズなのにおかしいな。これでは私が初めてのひとりぐらしで出会うもの全てに怯えて周囲を巻き込んで大騒ぎしているバカ女ということになるではないか。家賃格安で大学生や身元がやばそうな人がいっぱい住んでいるマンションでいちいちガタガタ言うことでもないのかな。こういうことでいちいち神経質になるのも私が甘やかされたおうちで育ってきたからかしら。悲しいわ。ところが次の日お湯を捻るとまた「ボォーーーッ」っと音がする。また係りの人を呼んで音がしなかったらコントだし、大騒ぎぶりに拍車がかかると思うと面倒になってそのままにしている。だから私のシンクはずっと、正社員になっても会社を辞めても無職になってもお湯を出すと「ボォーーーッ」と音がする。

会社を辞めることにした。

先週、仕事しすぎでフラフラの社長と先輩から「これから君たちにもキッツイ業務をいっぱいしてもらう。できなかったら積極的に残業してくれ」という主旨のお達しがあり、目の奥から血がザザッとひいて頭に集まり、瞬間沸騰して大爆発。その時はなぜか「全ての人間が明日死ぬかもしれない」ということに対する恐怖が皮膚感覚を持って隣におり、「明日死ぬかもしれないのにこれ以上残業なんかしてられないディス!!!」と叫んでしまった。それ以外でも色々ギャアギャア喚いてしまったのだけども、なにを言ったのかマジでよく覚えていない。あの時の私には確実に別の何かが憑依していた。

 

それから2日間出社拒否して土日を挟んで月曜日に奥歯をキリキリさせながら出社した。その時頭を下げて猛省の態度を見せればまだ余地があっただろう。でもしなかった。週5でどこかに行ってなにかを必ずしなければならないということから発生する苦痛のために頭を下げなければならないとか、申し込んだばかりの絵画教室に全然行けなくなるかもしれないことのために頭を下げなければならないとかいう行為に、リアルな体重を乗せることがどうしてもできなかった。壮絶にめんどくさかった。このめんどくささから一刻も早く逃げたかった。「なんでも言ってくれ」と言われたので素朴でバカな私は「絵を描くのが…なんか楽しくなってきてしまって…時間をとりたくて…あと、なんで自分がこんなことになってるのか自分でよくわからないです…」そのまま思ってることをたらたら話したら「それは普通の会社で言ったら怒られるよ」どーゆーことだよ。それって怒ってると言うのと同じだろ。なんでも言っていいって言ったじゃん。そゆことばっかり。私を操縦して枠や罠にハメるな。ブッ殺すぞ。

 

次の日、私の辞める理由に関して、今の業種と絵を天秤にかけて絵を選び、自己実現したいから辞めるという物語ができており、全員の共通認識になっていた。それはみんなが、私という人間が業務を突然全放棄して辞めるという無責任に対する猛烈な怒りを、私と相対している間だけでも別の回路に受け流す為に必要な物語だ。だからもうそーゆーことにして話合わす。人は人を物語に容赦なく回収する。私もこいつら私を物語に回収してるんだ勝手に回収しやがってファック、という物語に回収してるのかもしれない。

 

ところで会社を辞めるのがものすごく悲しい。ダカダカ残務処理をしているとまだ続けていく余力全然あったじゃん?キレたのだってただのPMSでしょ?まだめちゃくちゃ謝れば許してもらえるんぢゃ?とゆーか、私はまだこの会社を続けていくのではないか?辞めるって誰のことなんだろ?とかいう言葉が次々とわき出してくる。よくサスペンスドラマとか名探偵コナンに「この男は月末の予定を入れていたんだ。そんな人が自殺するわけないからこれは殺人ダ!」というくだりが出てくるけど、私は自殺する人のことはよくわからないし自殺も幸いあんまし考えたことがないんだけど、たぶん自殺するとしても月末に予定を入れると思う。そんな感じでだらっと自殺すると思う。こんな私にものすごくよくしてくれたいい会社を辞めるということは自殺なのかもしれない。私はまだ全然ずーっと生きていくつもりでいるままにだらっと自殺するんだ。

 

やがてやることなくなって掃除をする。この掃除をしている人はもうすぐ会社を辞める別人で、私は席に着いて仕事をまだしている感じがしてくる。雑談に入れてもらえるだけで泣けてくる。会社辞めたくない。ここで働いている人たちが好きだ。集団に私の形をそんなに歪めず受け入れてもらえているという感触があったのは人生で初めてだ。しかもこの仕事にはかなり適性があると思う。でも正直好きでも嫌いでもない。週5でぶっ続けは苦痛だ。そして頭が仕事に特化していき、会社員に特化していき、金の使い方が雑になり、生活が雑になり、体力や気力が無く自律神経系と意志が弱いあまりに自分と対話する方法がどんどん雑になっていくのは果てしない苦痛だ。きっと先週キレた時に憑依していた「別の何か」は、この一年間毎日毎日騙し騙し蔑ろにしてきた私自身だったんだ。とかカッコつけて言って、甘えているだけかもしれない。自分で自分のことがよくわからない。よくわからないとか言っとけばプライドが傷つかないからよくわからないと積極的に言ってるだけのクズかもしれない。こんな長文を病んでる風にだけどガッツリテクニカルに書いて、私はトテモ病んでいるので全然悪くないディスというアピールをインターネッツにして、「いや、君やっぱ見るからに頭おかしくなってるから一旦休みなよ」といろんな人に慰められて安心したいだけの真性クズかも。クズでもいいよ。とりあえず会社辞めたら4日ぐらい寝ようね。