私だけは

前は文章を書くときは大体こういう感じのことが書きたいと割とスッと道筋が見えていたような気がするのだけれど、今は見えない。漫画もそんな感じになってきていて自分がなぜ・どのようにして表現をしていたのかさっぱり思いだせない。多分毎日新しいものを入れていないからだ。私の表現は全て模倣だから新しいものを入れないといけないけど今はその気力があまりない。

 

会社を辞めてからじわじわと同僚のことが嫌いな気持ちが出てきた。仕事ができるのに愛想がないので多くの人から誤解されている人だった。彼女から見た私は調子ばっかよくて現実を見ていないバカで仕事しない癖に口が上手いから周囲に気に入られてる感じだったと思う。「あなたはきっとどこでもやっていける、人から気に入られるタイプだと思う。私はムリ」と言われたことがある。めちゃめちゃ笑える。彼女からしたら私なんかでも「上手くやれるほう」なんだ。人は相対評価の中で生きている。

 

一度、同僚たちの飲み会で好きな架空のキャラクターの話になった時があった。私は「100人いたら99人が嫌うような、みんなに嫌われてるような人のことを私だけは好きでいてあげたい。最後の一人になりたい」と言った。件の彼女が「それって私のことですか?」と言った。私は聞こえないふりをして話をつづけながら、瞬間的に怒りを感じていた。そういうことを頭の中で思ってても口に出して言い返すのが信じられないと思った。あくまで架空のキャラクターの話を自分のことだと感じるような自意識過剰なところがイライラすると思った。そして、私は図星を突かれたのかもしれないと思った。他人が悪口を言っているのを聞いても、私だけは彼女のいいところをいっぱい知っているつもりだった。私だけは彼女のことを好きでいるつもりだったんだ。

「二重生活」を見た

「二重生活」を見た。人生にどこか虚しさを感じている院生の女性が、修士論文に書く為に無作為に選んだ(と思っている)対象を尾行する話なのだが、主題はあくまでストーキング行為によって露わになる対象者の生活の秘密であると感じた。私は、「尾行した人物の人生を書くこと」についてが主題であると想定して見たため、焦点がずれているようなもどかしさを感じた。

途中、対象者に接触してしまうシーンが一番ハラハラした。対象者である石坂が主人公を「お前の物語は凡庸で面白くない。自分で体験せずに、お前の頭の中で他人の人生を捏ねくり回して、勝手なものを書くんだろ」と論破するシーンでは、推しや自分の周囲の人をマンガにしている自分と主人公が重なった。

ところでこの主人公実は結構しっかりしてるなと思った。
対象者石坂に呼び出された時にちゃんとカワイイ下着を着ていることから、(普段はユニクロみたいなのを着てる描写がある)多分セックスして対象者を説得するつもりが無意識的にでもあったと思う。最後は泣き落としで論文を書かせろと喚くし。そして一度失敗すると次の対象者に自分が傷つかない人物を選ぶ。

主人公は、自分は悪くない第三者だと思っているかもしれないが、その実ぐっちゃぐちゃの狡猾なやつだと思った。また、尾行が終始肯定的に描かれるところもモヤモヤした。主人公もまた誰かに尾行されてるシーンを付け足すことでミイラとりがミイラになる的裁きなのかもしれないけれどそこじゃねぇだろと感じた。

私もまた、主人公のように、なにかがわかるかもしれないと思ってこの物語を見ていた。

よくわからないことになっている

もう適当にバイトをして、適当に漫画を描いて適当に生きていこうと思っていたのに、今は正社員の仕事に応募するための書類を作成しています。マゼンダとシアンのインクが出ないため、真っ黄色になったポートフォリオを丸めて捨て、私という人間は、すべてを手に入れたいのにうまくできないと泣いているか、なにもかも捨ててもうどうでもいいとヘラヘラしているかのどっちかしかないのかと思いました。

椅子

子供の頃の私は椅子に座っていた。一族の一番の孫として生まれた子供に与えられた椅子だった。望む物が全て与えられた。男の子みたいに暴力的であっても許された。代わりに「勉強ができ、将来はよい大学を出ること」が条件として求められた。能力が追い付かず、責務を果たせなくなった私は、不登校になることで自ら椅子を放棄した。きっと引き摺り降ろされるよりはマシだと思ったのだ。

 

とても出来の良いいとこが生まれて大人になりつつある。いつもしゃんとして皇族みたいな笑顔を浮かべている。すごいがっこうにはいってすごいしょくぎょうをめざしている。さんねんかんつきあっているこいびともいる。椅子に相応しい人間だ。彼女になら椅子を譲ってやってもいい。でも、彼女は椅子になんて興味がないみたいで、とっくに自分の人生を自分の足で歩きまわっている。もう多分私よりずっと遠くにいる。

 

椅子に座りたい。椅子に座りたいよう。だって歩くのはしんどい。動きまわるのは怖い。どこへ行けばいいのかわからない。漫画を描いたり仕事がすごくできる人になったりして世間に認められればまた椅子に座れるのかな。家族の椅子は無理でも世間の椅子には座れるのかな。あの椅子に座らないと私、あの椅子に座りたいと思っていないと私。

 

そうして椅子に座っていた頃の私のことを思い浮かべると、いつも俯いて手の甲をつねっている。その子が、「寂しい」と言うことを我慢していることが、今はわかる。

うちはニーマンが好きなんや

セッションをスポ根に例える意見をネットでよく見ますけど、私は童貞文学だと思うんです。童貞が童貞ならではの葛藤したり調子に乗ったり叩き潰されたりする話だと思うんです。で、ラストシーンで晴れて、バリホモソーシャルの頂点に君臨するフレッチャー先生を越えて、超絶技巧を習得して、まぁこれから女にもモテだすだろうってとこで終わってて、サイコーじゃないですか。パラダイスじゃないですか。私はこのラストシーンを素直にカタルシスとして消費しつつ、一方で後ろめたさがあった。「おいおい気持ちわりーな!?」っていうことです。アンドリューは作中練習する→褒められる→調子に乗る→怒られる→逆ギレ→練習するっていうプロセスをずっと踏んでるだけで、全くメンタリティは成長しなかったじゃないですか。そんな状態でポンッと成功してしまうなんて、そんな虫のいい話、それこそ童貞の妄想を真に受けてしまうのはなんかバカみたいで嫌だなと思って。なので「プロドラマーになったアンドリューは10年後ドラッグ中毒で死ぬ。自分をドラマーにしたフレッチャー先生を愛したり恨んだりしながら死ぬ」と言い続けてきたんです。この童貞ソウルをぐらぐら揺さぶる気持ちのよすぎるラストシーンを享受するには、死ねば辻褄が合うと思っていた。

 

監督であるデミアンチャゼルが昔ドラムをやっていて、今ドラムをやっていないってことは、やっぱりアンドリューに自分の願望や妄想をモロに託してるわけじゃないですか。「あの時先生に認められたかったな」って。そしてアンドリューは監督を越えて向こう側に行ったじゃないですか。というか、セッションは私にとって「アンドリューは向こう側に行ったんだ」という物語だったんです。だからやっぱり、向こう側に一緒に行きたいなって思ったんです。そこで、向こう側ってなんだろうと考えました。単純に、「死」や、「第二のチャーリーパーカーになって活躍する」とかではない向こう側。


アンドリューはプロになってからも調子に乗って潰されて這い上がってを繰り返す。次第に意識的にしろ無意識的にしろ、フレッチャー先生の眼差しを試すような態度になっていくと思うんです。フレッチャー先生がどこまで自分を見ててくれるか、なにをしてもちゃんと叩き潰してくれるかどうか確かめるようなカンジで調子に乗ったり無茶をする。でも段々活動する場所が違ってきて疎遠になり、やがてフレッチャー先生は老いて一線から退く。そんなフレッャー先生を呼び戻そうとするように、アンドリューはキッズリターンのモロ師岡みたいな悪い先輩に近付いてドラッグを覚える。フレッチャー先生はやっぱりアンドリューのこと殴ってくれるんだけど、もうおじいちゃんだから全然パンチが痛くないんですよ。悲しいですね。そしたら余計にドラッグするじゃないですか。そして30歳前ぐらいになって奏者としても忘れられボロボロになっていく。


私の解釈のフレッチャー先生は、一流の奏者を育てたいから厳しくしているんだと心の底から思っていると思い込んでいるんですけど、無意識裏に二流の奏者としての嫉妬心で才能を潰してやりたいという悪意も持っている。ドラッグ中毒で病院送りになったアンドリューを見て、「ざまぁみろ」と思った先生は、初めて自分の中の悪意を自覚して驚くんですよ。病床で懺悔するかもしれない。アンドリューはなにそれ今更ふざけんなとフレッチャー先生を恨みますわ。でも、もう死ぬって手前のところで、フレッチャー先生のいないところで自力でスティックを握り始める。


アンドリューはおじさんになって、またプロになってるかもしれないし、音楽学校の先生になってるかもしれないし、ショボいジャズバーで演奏してるかもしれない。場所はどこでもいいんですけど、またドラムをしているんですよ。フレッチャー先生はもうお爺ちゃんなんで老衰で死にます。死の床で思い出すのはアンドリューのことではない。死なせてしまった生徒とか、愛する家族とかのことなんです。アンドリューは所詮フレッチャー先生の人生のワンノブゼムに過ぎないんですよ。でもアンドリューはドラムを叩いている。フレッチャー先生がこの世を去る瞬間も、去ってからもスティックを握って、のうのうと鼓動を刻み続けるんですよ。それがフレッチャー先生に対する最高の復讐と恩返しで、向こう側にいるアンドリューの姿だと思ったんですよ。そしておれのセッションのラストシーンはこれやなと思いました。

文章のリハビリ

漫画の気が滞っており、ブログの存在を思いだしたので、ぼちぼち文章を書くことを再開してみようかなと思います。どういう風に文章を出力していたか完全に忘れてしまったので、なんか前のと比べるとキャラクターがブレている口調になっておりますがご了承ください。

 

文章を書いていない間は漫画を書いておりました。久しぶりにいっぱい描いたり電脳マヴォに載せてもらったり出版社や出張編集部に持ち込んだりして楽しくやってたのですが、先日持ち込んだときからなんだかやるぞという気が萎えてしまいました。というか、漫画が描けている時は「気の巡り」が良いような気がするのですが、そいつが段々衰えて萎えてきているのをついに認めざるを得ない境地になったという感じです。

 

私は元々不登校だったのですが、理由を今改めて考えてみると、「私は特別な人のはずなのに、なんでこんな勉強についていけないのか?周囲からはスクールカースト最下位みたいな不当な扱いを受けないといけないのか?」という抗議行動として学校に行っていなかったのではと思い当たります。そのまま不登校の延長のひきこもりで、社会的に死にながら漫画を描いていたんですけれども、それで商業誌に声をかけてもらって、初めて、自分の設定している「特別な自分」が社会側から保障された気がしたんですよね。そのときの気持ちを再現したくて今まで持ち込みしたり投稿したりしてきたのかなって。最近思ってます。というか、思っていることを認められてきた感じがします。

だから、これから商業のラインに乗せてもらうためには今の自分のことをめちゃめちゃ改造しなきゃいけないということに、今のところ「しんどいな」って気持ちしか見出せないのかな。ちゃんと売りものになるものを作ってる人のことを見ると、なんかその、マジョリティの市場に合わせて改造するプロセスにも楽しみややりがいを見出してはるんですよね。私多分まだその段階じゃないです。自分の好きに描いたものを、沢山の人に好きって言われたい、言われるはずやのにおかしいってまだ思ってて、捨てられないでいます。

そこをね、「特別な人のはずなのに」という気持ちを、責めたり無いことにしたりしても仕方ないです。紛れもなく思ってしまってることなんですからね。人から見たらかなり気色悪いと思いますけど、自分の中の話としては、病的に自分を特別だと思わざるを得ない自分との付き合い方を考えてあげたほうが建設的なのかなと思います。まぁ、ちょっとどうしたらいいかよくわかんないですし、年上で眼鏡で理系で頭のよろしいお兄さんに「君は僕にとっては特別だよ(はぁと)」って言われたら、なにもかもうまくいく気がするなぁって気持ちが、まだ大きいですけどね…。

はぁーしかし、次これやったらどんづまってたなにかを突破できるんちゃうか!?って思ったところで止まってる感じもあるので、すごい揺り戻しな気もします。この場所から移動したいけど今はちょっと疲れてることだけが確かです。こんなこと考えてるときは大体「おれ、この物事に対してもうなんもできることねぇ…」って感じが先にあって、その言い訳をだだだっと考えてるだけだからね。

 

最近は、デザイナーもどきのバイトをしています。女だらけの大奥です。一人、口が上手いんだけど陰口をめちゃくちゃ言う女性がいて、その人の人格が私にインストールされ、プログラムから私の陰口が自動生成される感じになってきたので、もう辞めたいです。実はその人のこと最初はちょっと好きでした。漫画のことを応援してくれるって言ってたから。いや、さすがに、私を低賃金で利用するために調子いいこと言ってるだけだっていうのはわかってたんですよ。でも、わざわざ口に出して言ってくれるなんていい人だなってちょっと思っちゃってたんですね。この人陰口すっごい言うけど、私のことも絶対言ってるだろうけど、まぁ、人間やしそんなもんかなって。私その人の地雷をいつのまにか踏んでしまったらしくって。ある日を境に急に態度がよそよそしくなって。呼称が「○○先生」から「○○君」に部署内で一人だけ格下げ、こないだなんかついに名前間違えられましたよ。いや、デザイナーじゃない人がデザイナーのこと「先生」って呼ぶ現象、よく遭遇するけど、バカにされてるとしか思えないからやめたほうがええよって思ってたんですよ。思ってたんですけどね、ちゃんと。わ~、なにそれくっだんね~。いや~私、本当に対人スキル成長しませんね。ちゅーか、多分スキルは成長してるんだけど心が追い付いてないですよね。ちょっと煽てられるとすぐ気持ちよくなっちゃってこの人いい人~ポニョこの人好き~ってなっちゃって。ちょっと冷たくされるとこの人大嫌い~ってなっちゃって。感受性豊かかよ。もう辞めてさっさと次を探しますね。朝社訓を読むところはだめだ。具体的な憎しみを感じる。さようなら。この会社、大体嫌なことやびっくりすることばっかりだったけど、でも、ちょっとだけ楽しかったです。

「ヴァイブレータ」見ました

大森南朋、ほんま夢の男性やったな…邦画夢の男性ランキング10位以内に食い込んでくる夢の男性…ほとんど白に近い金髪がアイスクリームみたいなの。トラックの閉鎖空間で段々険悪になって「おりろキチガイ!」「バカ!もーしらない!」「嘘だよブス!」「バカー!!」とかの修羅場やるんだと思って色々覚悟してたけどそうじゃなくて、でもそうじゃなくて本当によかった…夢のまま終わった…。ワインもロクに買えなかったけど、フツーにワインが買えるだけのささやかな自主性を獲得して終わった。そこでワインは買っちゃうんだけどね…アル中だけどまだ買っちゃうっていうのが、レイは階段をやっと一段上っただけなんだなっていうのが逆によかった。

あと、男女カップルのラブシーンで最も美しい構図が、女が外で排尿してるのを見守る男の図だと思ってて、それもあったのがポイント高かったわ…。排尿はよいものです…。BLだとあんま成立しないと思いますからねこれは…。百合はいけるかな。でもここは身体の構造と普段使ってるトイレが違っててほしいんだよな…。

食堂のシーンはアレ、別に本心を見せ合ったわけじゃないと思うんだよね…。希寿の「結婚してない、娘もいない、ストーカーもいない」は、男が待ってるって嘘吐いたレイに合わせてあげた優しい嘘だと思ったんですよ。そんでレイもそれをわかってるんだなー…と思ってたんですが…。穿ち過ぎなのだろうか…。確かに最初は経歴偽ってたり勃起してないチンコ見せたがらなかったりして、見栄張って虚言する伏線はちゃんと張られてるだけに、私の認知が歪んでるだけなのかもしれないと思ってきた…。

とにかく希寿はべつによくわからねーままでかまわねーから…希寿の弱さをわかりたくてトラック乗ったわけじゃねーから結婚してて娘もいてストーカーもいてくれよ…夢の男性のままでいててくれよ…。

それと無線が出てきて執拗にやってたけど、今って無線使ってるのかな? Wi-Fi飛ばしてスカイプとか専用アプリで会話したりとかしるんだろうか運ちゃん…そうだったら趣がないな…。肌の説明、無線の説明、一見無関係なテキストが全部レイの心の説明みたいに聞こえんこともないっていうのもよかった。レイが無線について「遠くのものがはりついてくるみたい」って言ってたけど、インターネットがこんだけ日常に普及しちゃったからもうその感覚実感としてはわかんないなと思った。想像はできるんだけど。使うものによって更新されていく人間の感覚とか、電波飛ばして繋がりたい人間がこんだけ普及させたインターネットは次どこいくんだろうとか考えた。この映画ほんの13年前なのに…。もう、多分今の人だったら希寿もレイもスマホ持ってそうだから「ライン交換しよーよ!」とか言ってラストシーンのもう二度と会えない感が台無しになるで。