コートみたいな彼氏がほしい

なぜ婚活しているのか人に聞かれる度に、「早くしないと加齢により市場価値が徐々にさがっていくと感じるから…」とかどこかで見聞きした適当なことをぺらぺら答えながら、なんだかこれは自分の言葉ではないと感じている。

 

「もう○○歳だよね?」「今更気が付いたの?」

って、私の行動や気持ちにいちいちマウントしてくる声が頭の中にある。声の正体は私自身であることは百も承知で、ことあるごとに出てくるこいつはまずどういう時に現れるのか観察してみた。最近は「WEAR」という一般人のオシャレな自撮りを延々見られるアプリがおもしろーいとツイートしようとした瞬間、「今頃知ったの?」って声。こいつなにがしたいんだろう、なにが目的で私にマウントとってくるんだろう、ってもう暫くじいっと見てみる。

 

水を吸い上げてよれるティッシュみたいに気持ちが染み渡ってきた。私は恥ずかしいのだと思った。人が知っていて当然のように思えることを知らないこととか。そして彼氏がいないことが猛烈に恥ずかしいのだと突然思った。恥ずかしすぎてもはや恥ずかしいことすら恥ずかしく、ツイッターやブログでわざわざ文字にしたり、よく知らない他人にも堂々と彼氏が欲しいと話したりして、さも恥ずかしくない風を装っているのだ。「裸ですがなにか?」ってふれてまわってる王様は、実はとっくに自分が裸であることに気が付いている。

 

裸で思い出したけど、最近ちょっとお高いコートがほしいな~と思いついて色々見ているんだけど、生地とか形とかすごい色々あって選べない。自分がなにが欲しいのかあまりわかってない。絶対ベージュ!って日もあれば冒険してブルーグレーがいいな~とか、やっぱ使いやすい黒だろって思う日もある。恋人もコートみたいなもんなのかな。わかんないけど。コートみたいな彼氏が欲しい。

お手紙

こんばんは。死にたみが強くなったので筆をとっています。「圧」の強い紙です。圧が強い。こんなものに自分の気持ちを書いて500円で売っているオレ…状態。買っているあなたもヤバイですね。ヤバイ私のこと好きか、友達か、ヲチャか、もっと明確な悪意があるか…まぁそんなことはどうでもいいですよ。いやよくない。好きであってくれ。

 

今回は婚活のふりかえりと反省をしようかなと思っています。話すとめちゃくちゃ長くなってしまうんですけど…。なんだろ、理想が高いのかな?真田さん好きだからな…。なんか、とにかく、婚活パーティーカップリングして、デートを一回して、そこからつなげたことがないんです。スンゲーイライラしちゃうか、なんかもういいかーってなってしまうか。謎です。自分の感情の整理がついてなくて、言語化できなくて、なぜこのような段階で手紙を書こうと思ってしまったのか…。なにかを誰かに伝えたい。聞いてほしい。そういて次に進みたいという意思はあるのですが。まじでこれなんで金とってるのかいよいよ謎になってきた。金払って聞いてもらうやつだろこれ。すみません…あなたが他人の身の上話聞くの好きな人であることをいのります。

 

一度、もしかしたらこれうまくいったんちゃうか?って人のことを書きますね。その人とはオタク婚活パーティーで知り合いました。最初は話がはずまなかったんですけど、途中で最近見た映画が宇宙戦艦ヤマト2202だって話になって。そこからヤマトの話でもちきりになってカップリングしました。(気の合いそうな人に「いいね」みたいなのをつけて両方「いいね」つけ合ったらカップリングする形式)で、連絡先を別室で交換して。ちょいと駅まで歩きましょうって話になって。その人、なぜか二歩後ろを歩くんです。私、最初気のせいかな?と思ってゆっくり歩いて見るとまた二歩後ろ。キモッてなる気持ちをおさえて別れて、LINEをしてみると単語なんです。「おつかれさまでした」「ですね」「はい」とか。イラッですよね。でもその人、私の好きなヤマト2199のシーンがある映画のオマージュであることを教えてくれました。私、知識のあるオタクだ~い好き。まぁ映画のタイトル忘れちゃったんですけどね。しかもめちゃくちゃいい声だったんです。いい声ですねって言うと「よく言われます」って言ってました。ちょっと中田ジョージさんっぽい声です。私本当に声フェチなのでそこはえっらい気に入って。次また会う約束をしました。

 

で、次の週。私、その人の顔忘れててわかんなかったらどーしよと思いました。でも会ったらすぐ思いだしました。しかも、記憶より全然カッコイイ。ちょっと嬉しいですよね。私、でっかい声でがんばってしゃべってました。「わざわざ来て下ってありがとうございますー」とかなんとか。そしたらその様子を会社の上司に偶然見つかってしまったんですよね。一つ上の既婚者上司男性。ボーッとつったって、ユーレイでも見たかのように、口紅をひいてはしゃいだ私を見ていました。私、意外と冷静で。「25歳ぐらいだったら顔から火が出てたよナァ~」なんて考えながら無視して。でもあの時のことずっと覚えてるんです。はしゃいでる自分が急に第3者的になったみたいな不思議な感覚。

 

待ち合わせた人はまた私の二歩後ろを歩きながらボソボソ話してました。家庭環境や高卒であること、今はがんばって働いてフツーの人のフリをしているところ、私と似ていると思いました。なによりほとんど初対面の異性にそういう重いことまで話してしまう「気の効いてなさ」が似ていると思いました。そうしたら急にその人の考えが私の頭にながれ込んでくるような感覚になりました。「ボク、父親と二人ぐらしで、ゴハン良いもの食べてないんです。」私にはこう聞こえました。「お母さんが欲しい。ボクのお母さんになってよ。」。嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ。私は自分の認識がおかしいことに気づいていました。でも、会いたくない、もう二度と会いたくないという気持ちをおさえることはできませんでした。夜、その人からまた一言、二言のLINEが来て、はずみでブロックしてそのままです。

 

私はケッコン相手を探しているようでいてその実私の全てを愛してくれる父親を探している自分をその人の内に見たのか?あの激しい感情は自己嫌悪だったのか?その答え?問い?に向き合わないために私は、同じようなことを延々とくりかえしているような気がしました。

 

以上がコトのテンマツです。ご清聴ありがとうございました。

怒り止め

就活の時午前中に怒りが爆発して午後に収まるというムーブをしまくっていて、インターネットで調べたら「鬱」じゃね?ということだったので心療内科で薬を貰った。エビリファイという怒りを止める薬通称「怒り止め」なのだがこれが効く効く。怒りのもとにスーッとよく効きます。飲めば一発、腹の中にふつふつと湧いてくるエネルギーの元凶くんをトンッと手刀で落としたような感じ。だがこれが弊害があって、そうぞうりょくもなくなる。「そうぞう」にはクリエイティビティ(創造=目的に向かう行動)とイマジネーション(想像=状態)とがあり、よりにもよって前者がスーンッとなくなる。創造できない状態の私は、こんなの私じゃないっ!おとなしくて優しくて物分かりがよくてすぐ謝れるなんて私じゃない!生活に支障アリ!ということで怒り止めを半分にしてもらうことにした。そしたら途端に頭の中にモノローグが溢れてきて、会社の人が全員私を落ちこぼれだと思っているような気がしてきて、そうそう、そーいや私ってめっちゃこんなんだったわ。ってなってる今。人間なんて所詮脳内物質の奴隷ですね。毎日キレてキレて仕方がないって人は一度エビリファイ試してみてくださいね。めちゃめちゃ効くんで。

お久しぶり

ここ、久しぶりに覗いたら、なぜか毎日5、6人ぐらいアクセスしてくれる人がいて、ちょっと昔の私の生々しい気持ちが書いてあって、ああ、文章を書かなくてはならないという気持ちになったのだけれどもう寝る時間。そうなんです。私最近夜11時30分には寝ています。またフルタイム会社員しています。まだバイトだけどね。

 

またぼちぼちなにか書ければいいなと思います。最近の私は、また洋服のことばかり考えています。

「二重生活」を見た

「二重生活」を見た。人生にどこか虚しさを感じている院生の女性が、修士論文に書く為に無作為に選んだ(と思っている)対象を尾行する話なのだが、主題はあくまでストーキング行為によって露わになる対象者の生活の秘密であると感じた。私は、「尾行した人物の人生を書くこと」についてが主題であると想定して見たため、焦点がずれているようなもどかしさを感じた。

途中、対象者に接触してしまうシーンが一番ハラハラした。対象者である石坂が主人公を「お前の物語は凡庸で面白くない。自分で体験せずに、お前の頭の中で他人の人生を捏ねくり回して、勝手なものを書くんだろ」と論破するシーンでは、推しや自分の周囲の人をマンガにしている自分と主人公が重なった。

ところでこの主人公実は結構しっかりしてるなと思った。
対象者石坂に呼び出された時にちゃんとカワイイ下着を着ていることから、(普段はユニクロみたいなのを着てる描写がある)多分セックスして対象者を説得するつもりが無意識的にでもあったと思う。最後は泣き落としで論文を書かせろと喚くし。そして一度失敗すると次の対象者に自分が傷つかない人物を選ぶ。

主人公は、自分は悪くない第三者だと思っているかもしれないが、その実ぐっちゃぐちゃの狡猾なやつだと思った。また、尾行が終始肯定的に描かれるところもモヤモヤした。主人公もまた誰かに尾行されてるシーンを付け足すことでミイラとりがミイラになる的裁きなのかもしれないけれどそこじゃねぇだろと感じた。

私もまた、主人公のように、なにかがわかるかもしれないと思ってこの物語を見ていた。

よくわからないことになっている

もう適当にバイトをして、適当に漫画を描いて適当に生きていこうと思っていたのに、今は正社員の仕事に応募するための書類を作成しています。マゼンダとシアンのインクが出ないため、真っ黄色になったポートフォリオを丸めて捨て、私という人間は、すべてを手に入れたいのにうまくできないと泣いているか、なにもかも捨ててもうどうでもいいとヘラヘラしているかのどっちかしかないのかと思いました。

椅子

子供の頃の私は椅子に座っていた。一族の一番の孫として生まれた子供に与えられた椅子だった。望む物が全て与えられた。男の子みたいに暴力的であっても許された。代わりに「勉強ができ、将来はよい大学を出ること」が条件として求められた。能力が追い付かず、責務を果たせなくなった私は、不登校になることで自ら椅子を放棄した。きっと引き摺り降ろされるよりはマシだと思ったのだ。

 

とても出来の良いいとこが生まれて大人になりつつある。いつもしゃんとして皇族みたいな笑顔を浮かべている。すごいがっこうにはいってすごいしょくぎょうをめざしている。さんねんかんつきあっているこいびともいる。椅子に相応しい人間だ。彼女になら椅子を譲ってやってもいい。でも、彼女は椅子になんて興味がないみたいで、とっくに自分の人生を自分の足で歩きまわっている。もう多分私よりずっと遠くにいる。

 

椅子に座りたい。椅子に座りたいよう。だって歩くのはしんどい。動きまわるのは怖い。どこへ行けばいいのかわからない。漫画を描いたり仕事がすごくできる人になったりして世間に認められればまた椅子に座れるのかな。家族の椅子は無理でも世間の椅子には座れるのかな。あの椅子に座らないと私、あの椅子に座りたいと思っていないと私。

 

そうして椅子に座っていた頃の私のことを思い浮かべると、いつも俯いて手の甲をつねっている。その子が、「寂しい」と言うことを我慢していることが、今はわかる。