Sの病

精神異常者や犯罪者と呼ばれる人たちと、所謂善良な市民と呼ばれる人たちの間には、明確な線引きは存在しないのではないかと考えている。普通の生活を送っている人の中に重度神経症的発言を聞くこともたくさんあるし、誰もが状況次第で罪を犯す可能性を大なり小なり孕んでいるだろう。しかし、バイト先にいるSはいつか人を殺すんじゃないかと思っている。ほとんど確信にも近い。「誰もがグレーである」という頭の考えと「だがSだけは黒だ」という心の思いが、一個人の私の中に奇妙に両立している。

Sは私のかつて犯した間違いを犯し、私が恥じてやめた言動を繰り返し行い、私が実像とかけ離れているため諦めた理想自我を未だに生きているため、周囲からの認識と齟齬が生じている。

という分析を補強する為に、「Sって長男だよね?」「親や親戚中に期待されて褒められまくって育ったよね?」「子供の頃は成績優秀だったよね?」「そして社会の底辺に失墜した今も優秀な自分を諦められないんでしょ?」「今の無能で役立たずな自分は存在してちゃダメだから、いないことにしてるし、そういう扱いを他人にも望んでるんでしょ???」などと、内的に踏み込んだ質問攻め(これらは自己紹介でもあるのだが)をしたくてしたくてたまらない。Sと仕事をすると、3倍ぐらい働かないといけないので死ぬほど疲れてうんざりするのに、すこしだけ昂揚したような気分になる。きっと目の前の人間関係にかかずらわっている時は、自分の問題に構わなくて済むからだ。Sは変わらないといけない。Sはこのままではいけない。しかしその思いは自分の問題からの逃避だから間違っているし、関わる覚悟は無いし、関わりたくないし、関わったら絶対めんどくさいことになるから我慢しなきゃいけない。

Sは頻繁にミスをする。その報告をする時、「自分が不利にならないようにちょっとアレンジした事実+自分なりに思いついた解決策+浅い経験からくる勝手な憶測+責任を擦り付けたい第三者の名前」を句読点無しでランダムに一気に並べ立てる。頭の調子がいい時は、膨大な言葉の中から必要な「事実」だけを取捨選択できるのだけれど、平時は全ての言葉とそれに乗せられた「俺は悪くない」という感情が、一気に頭の中をぐちゃぐちゃに侵す。俺は悪くない。俺は悪くない俺は悪くない俺は悪くない。だから見棄てないで見棄てないでお願い見棄てないでどうか私は優秀で特別だから愛してください誰でもいいから愛してくださいお願いします。

昼休憩でご飯を食べようとした時、口があかなくてびっくりした。よっぽど歯を食いしばっていたのだろう。

ある日「Sのミスを糾弾する」という大義名分の下に、Tによるいじめのような制裁が行われた。Tはなにがしたいんだろうと驚いた。まぁ単純に鬱憤を晴らしたいんだろうな。正しいことがそのまままかり通るなんてもう信じていない癖に、鬱憤晴らしの言い訳をする為に正しさを使うなんて、中学生みたいなセンスだと思った。問題はその対象がSであるということだ。Sは下手に踏んだら爆発する地雷だ。その辺を血だらけにするビジョンが、私にはあまりにも明確に見える。「ヘタなことしない方がいいですよ。Sは多分キレたらなにをするかわからないですから」Tにそう伝える時に、自分の表情が酷く歪んだのがわかった。感情的にならないよう、嫌悪感と嘲笑と同情と同族意識を抑圧しながら話そうとするが、胸の内に待機していた差別的な酷い言葉が次々と唇の端から漏れ出てくる。一旦言葉が外に出ると、開放感の快楽に身が悶える。そんな自分へ嫌悪感。私の顔はそれらをすべて同時に実現していた。さぞかし醜かったに違いない。Tに「そんな言い方じゃぁ、まるで変人扱いじゃないですか」と言われて気が付いた。Tは普段Sを口汚くののしりながらも、自分たちの延長線上のグレーとして扱っているのだ。誰よりもSと自分を線引きして差別化したいのは、私だった。私はいつかSが人を、私を殺すのだと思い込んでいたが、本当は私がいつかSを殺してしまうのかもしれないと思った。