いろいろな映画を見ました

・野田版研辰の討たれ

主人公が自分のハンドルネームと同じお芝居もなかなかねーなと思ってDVDで鑑賞しました。野田秀樹さんの演出がすごく面白い。舞台にしかできない仕掛けで漫画的な画面を見せるかんじが…。勘三郎さんの尋常じゃない身体能力(飛び上がって正座して着地するのを空中で止まった絵みたいに見せるとか…)も相俟って、全編作画:手塚治虫という感じでした。

歌舞伎というのはカーテンコールがないんですね。歌舞伎に明るくないので知りませんでした。勘三郎さんが「死にたくねぇ死にたくねぇ」と泣きながら舞台の真ん中で死んでしまい、幕が下がって、「まぁ、もう一回開いてケロッとした顔で出てくるんだろうなー」と思ったらもう出て来ない。拍手で終わり。全編が「仇討される方の視点から、仇討を賞賛する民衆を懐疑的に描く」というメタ視点芝居だったのに、最後の最後でメタを抜けて、本当に死んでしまった現実の勘三郎さんのことを想起せずにはいられませんでした。

 

フルメタル・ジャケット

「セッション」にどんハマりしてしまい、品評を読んでいると頻繁に出てくるこのタイトルが気になって視聴しました。スタンリー・キューブリック童貞を捨てました。面白かったです。錆びついた扉の開閉音と爆発音みたいなBGMが怖かったです。全編に渡って「ユングの言う人間の二面性」を表現していたのかなと思いました。ベトナム戦争の大義の二面性に準えて、足手まといのデブを哀れに思い優しくしつつもやはり疎ましく思うとか。傍観者的な立場だった足手まといその2のカメラマンが、自分を守るために行為者になってしまうだとか。同じ眼鏡キャラだったカウボーイが殺されてしまい、奮起して敵陣に突っ込むのも象徴的だと思いました。眼鏡というのは物語では現実から一歩ひいている人がかけるものですから。あれでもう、ずっと斜に構えていたジョーカーも、あとにはひけなくなったぞという感じがしました。ミッキーマウスマーチは、いつ敵が出てくるかもしれない夜の行軍が怖すぎて、ふと誰かが歌いだしてしまい、それが全体に伝播したのかなと思いました。ああいうのを説明無しで、狂気が盛り上がった部分だけバシッと切り取ってしまうのが作風なのかな。

 

ウルトラミラクルラブストーリー

つまんなすぎて途中から4時間ぐらい寝ました。なんだこれは…。仕事終わりに待ち伏せしてくるストーカーに徐々に心を許していく理由がわからない。いや、きもいだけだろって。(笑)そこで脱落したからもうだめだった。あと、あんな規格外のバカだったらまず免許とれないよね!? 無免許運転かもしれないけど。怪しい占い師に被れてたアソークミコが、突然語彙力が3割増しして「生命の授業」「恐怖で進化がどーのこーの」とか言い出した時、ついに宗教で頭おかしくなったフラグかと思ったら全然そんなことなかったし。ウルトラミラクルラブストーリーってタイトルだけ見たらクソつまんない映画だけど、本当にクソつまんない映画だった。なんでこんなにつまんないのかというと、やっぱり私はようじん君のこと好きになる気満々で見てたのに、最後まで全然好きになれなかったっていうところなんだろうな。

家賃4万のウロボロス

これは夢だ。父親に布団の中に入ってこられて、小声で名前を囁かれながら脹脛を掴まれる。オナニーしてる時に母親や妹に部屋に覗かれる。定番の明晰夢。一人暮らしをしてから初めて見た。もう呻き声をあげながら汗だくで目が覚めることはない。またかと思う。まだかと思う。まだ私は解放されとらんのか。ベッドから降りて暫くしても脹脛は指の形に熱い。

 

最近週末になると母親からLINEがとんでくる。内容は猫のアップの写真+文字が「おーい!」だけ。なんなん? 「おーい!」って。めっちゃ怖いんだけど。母親はこのようにして自らの寂しさを自らのものとして責任を持って言語化することのできない人だ。前帰った時の母は、朝から風邪気味なのにどこかに出かけて、3時前にやっと帰ってきたと思ったら、昼飯に食卓が真緑。本当に緑色のものしかない。しかも量が多すぎる。「野菜不足やゆーてたやろー、知り合いの畑で収穫してきてん~♪」私は大嫌いなセロリのスープを吐き気と一緒に飲み込んだ。やっぱりこの人は頭が少し狂っているんだ。

 

絵や漫画は、過去に人に貰った褒め言葉を反芻したり、これから貰えるかもしれない褒め言葉を妄想しながら描いている。そんなことしてたら目の前のものが見えなくなり、どんどん質が下がる。そっちに夢中になっていることに気づくと打ち消すことができるけど、気を抜いたり間が空くとノイズはすぐに混ざる。うるさい。一刻も早くパンドラの箱を空けなければ。パンドラの箱を空けて、人に褒められるような漫画を描く為には、人に褒められることを欲望することをやめないといけない。自分の尾を呑み込もうとするウロボロスは、最後にはそこにいた蛇はどうなってしまうんだろう。どのみち脹脛を掴んでいるのは私自身だ。そんなことはもうずっと前からわかっているのだけれど。

コーヒーが好きなデブの体臭は甘い

男の子ってなんだか、どんなにおとなしそうに見えても、「オレのやり方」を持っててそれで通そうとするよな。私が提案した方法に沿って「なおします」と口で言ったクセに、「オレ流」そのまま提出して案の定やり直し食らってた新入社員を見ながら思ってた。バイトだからかな。女だからかな。よくわかんねーけど私の話はいはい聞いてるふりして全然聞いてないよね。偉い人のいる前では腰低そうな態度して、下っ端しかいない朝はタバコの匂いプンプンさせて始業3分前に滑り込んで来るんだもん。きみ、知ってる? 自意識を手っ取り早く誰にでも認知できる形式に変換したものが体臭なんだよ。どこの誰がそんなこと言ったのかとゆーと、一般人のニオイフェチの私なんだけど。あとこの新入社員は例の社畜マインドじゃない。社畜マインドは研修でなんらかのなにかが引っかかって落ちてもう来ない。だけど私はまだ会社にいます。

 

その会社で落ちこぼれが一人いて、今度そいつがバイトになって代わりに私が正社員になるかもしれないって。正社員って。なんだろうと思った。自分の存在している世界線がおかしくて、久しぶりに軽いパニック発作を起こした。毎日私の中では私の評価がこき下ろしと理想化の間で激しく揺れているけど、私の外の現実は存在していてそこで同じく現実として存在している私の一角は成長しているということになっているのかと思った。それが嬉しいのか嫌なのかよくわからない。いや嬉しいに決まってるけど嬉しいと気取られるのがなんとなく後ろめたくて話をされた時反射的に目をそらした。目をそらした!と思った。本当に嬉しい人間はそんなリアクションをするだろうか。私はある日突然会社を辞める気がしている。ある日突然高校を辞めてしまった日から、今までずっとそうだったみたいに。

 

そういえば「僕、この会社で頑張ったほうなんで残ってるんです」と落ちこぼれが言ってたっけ。こいつ、たまに子供の笑い方をするんだよな。肩から腹から大きな息を小刻みに切って吐き出すみたいな、いつのまにかできなくなった子供の笑い方。あの笑い方まだできる20代後半初めて見たわ。気持ち悪くて気持ち悪くて、でもなんか、お前、本当に楽しいんだなって思っていた。

日曜日になると死ぬことばかり考える

死にたいのほうじゃなくて死にたくないのほう。朝になるとあぁ死ぬ、フルタイムで働くと平日は一瞬で過ぎていくし土曜日は一日疲れているし日曜日はこうして一瞬で過ぎていくし人間は死ぬんだ、死ぬ死ぬ死ぬのいやだ死にたくない死にたくない死にたくないと思いながら仮面ライダードライブを見て、太陽が沈んだ頃になると「あぁ…なんだ…こうして平等に夜が来るように死がくるというなら悪くないかもな…」とか思いながら風呂に入って寝るみたいなサイクル。深層意識的には平日は常時死んでいるという設定なのだろうか。

ロードオブザファザコン

父親は私を愛していなかったのではなく、実は父親なりの愛し方で愛していたのだ。それを心の底から自覚した時、ファザコンの真の苦しみが始まる。うちの父親の場合は私をペットみたいに愛していた。彼は自分の気分ひとつで私に構ったり放置したり部屋に閉じ込めたりどっかに連れ回したりものを食わせたり私の気持ちを決めつけたりした。私の気分は最悪だったけど、それでも彼は彼なりに私を愛していたのだった。めでたしめでたし。完。

 

とは終わらないのが死ぬまで続くロードオブザファザコンで、突然「顔が見たいから食事をしませんか、今日の夜」とか半年ぶりぐらいにメールが来た。今日の夜て。ほんと変わってねーな、私の都合無しに自分の好きな時に構いたいってところ。

 

今まで何回もこういう機会があり、色々と言葉を積み重ねて試みたけれども、最終的には「君が小さい頃は色々あったけど、今はこうして楽しく食事ができているし、君を応援できる僕って最高の親だよね」というドラマ以下の茶番に付き合わされる顛末になってきた。ここで会ってしまったらまたそうなるに違いない。メールを見ていたら心が不安定になってきて、だけどそういった状態を相手に説明するのももう面倒だし、無視を決め込むのもダメージを一人で背負い込むので癪だし、ちょっと考えて、うんこの絵文字を一つだけ書いて(?)返信した。テメェも言葉の通じない相手と対峙する苦しみをもっと具体的に味わうがいい。ギャハハ。

 

さて、父親のリアクションを色々想像してニヤニヤしていたら、「なんにも書いてないよ」と返信が。ググッたらdocomoの携帯ってうんこの絵文字対応してないんだって。しとけよ対応docomo。しとけよここぞという時に。なんか私の人生ってずっとこんな感じだよな。

社畜マインドが入社した

社畜マインドを持った人が入社してきたので頭が混乱している。「えぇーっ!?土日祝お休みいただけるんですかァ!?すっごいなぁ!!」とかお芝居みたいに言うので、お芝居かよと思う。社長さんの自虐っぽい冗談に「HAHAHA!」と笑う。本当にアルファベットで外国のオッサンみたいに笑っている。多分そーゆー笑い方して得意先の機嫌とってた上司が前職にいてその人のマネをしてるんだろーなとか考えている私はおべっかで笑うこともも仕事もできない。

 

会話は相変わらず頓珍漢だ。「社畜君はスキルは無いけどポテンシャルがあるからな。○○(私)さんもそうやってんけどな」「ありがとうございます~」「…。」「…(あっ)」この時点で嫌味だと分かるのだから空気がとっくに凍っている。不思議だなー字にしたらすぐわかるのに。音だとわからない。表情とか声色とか身体の様子とか全然判断材料に入ってない。いっそみんな文字で喋ってくんねーかなツイッターみたいに。

 

仕事は、社畜君が来た日はできないなりに1.5倍速くらいで片づけてしまった。しかも定時キッチリで帰るキャラなのに残業してしまった。なんということだと思った。これじゃ私が社畜君が来て焦ってるみたいだし、実際焦っている。そんな単純な反応が今まさに衆目に曝されているのかと思う突然恥ずかしくなって、「引っ越しして処々の問題が大方片付いたので仕事に集中する余裕が戻った。」とか、「直属の上司がストレスで血が出るまで壁を殴っている場面に遭遇してしまい、とても怖い。怖いが、ただ怖がっていても仕方がないので今自分が自分の立場でできることを考えてやるだけだという自覚が芽生えて正気に戻った。」とか、「社畜マインドに感化されて後ろ指を差されるのは一時的なこと。結果的にもし仕事ができるようになればやがて人は忘れるし、どういう動機だったにしろ仕事ができるようになるのは会社の目的には沿っている。だから合理的な判断で私は気にしない。」という物語を瞬時に捏造した。その物語を社長や上司に話すシミュレーションを脳内で繰り返す自分に割と早めに気が付いて正気に戻ってまた作業をした。なんと言っても社畜マインドに感化されているモードの私は正気に戻るのも早い。しかしそれが恥ずか(ふりだしに戻る

 

気持ちのはたらきを文章に起こしていて気が付いた。この会社の面接で「私は真面目で向上心ある人間です」と言ったけれど、あれは自分でも気が付かなかった大法螺だったんだ。前のバイトをしていた時は、自分の根がそういう人間だから周りの人とちょっと合わないんだよナ~とか思ってた。でも実際は怠惰で定時が早く来いと思ってるような人間で、作業の傍らラジオばっか聞いてたという事実を隠蔽したいんだろうな。なんのために?って考えるともう少し深度下げられそうな気もするけど眠くなってきた。最近何かを隠蔽するためばかりにあくせく心を働かしているんだ。それはとても疲れるからすぐ眠たくなってしまうんだ。でも生まれて物心がついてからずっとそうだった気もする。

引っ越しが鬱

「洗濯機と冷蔵庫、大きいの買ったら、引き揚げてきた時にどこに置くん。そんなもんゴミやと思って買いや」

母親がそーゆーこと言ってくるので、どーゆーことだよとなる。私みたいな脆弱野郎は早々に引き揚げてくるって決まってるのかよ。笑 態度では無関心を装っておいて突然言葉でキッツい干渉したり、その逆だったり、典型的なダブルバインドじゃねーか。毒親だァァァッ!子供を無力な存在として扱うことでいつまでも支配下に置こうとするまぎれもねぇ毒親の本性がいよいよ顕在化しちまったぜぇぇッ!ってなってる。だけど考えてみると、私は親に毒親のレッテルを貼って責任転嫁することで自分自身の病理や依存心を隠蔽しているのかもしれない。あるいは自分自身の病理や依存心を隠蔽しているかもしれないと思って頭の中で自分を痛めつけてしまうところまでもが毒親に骨の髄までコントロールされた思考回路なのかも。あるいはその「毒親に思考回路をコントロールされている」というところまでが自分自身が自分の罪を親に擦り付ける為に自分に仕掛けた巧妙な罠なのか。あるいは…。そんなことをぐるぐる考えて、引っ越し業者をさっさと決めなければいけないという現実から消極的に逃避していたら、首のリンパがなんかめっちゃ腫れてきた。多分ピアスの穴から血が出続けてるのでそれのせいだと思う。こんなとこ風邪ひいても腫れたことないのに。ハァ~私の白血球すら私が欠落した女性性を獲得しようとしてちょっとピアスの穴とかあけたくらいで早速抑圧しにかかるのかよ。ハァ~も~なんだよ。

 

階下からクッキーの焼けるにおいがしてくる。母親はいつもこうだ。私がナーバスになっていると、こうしてお為ごかしに大量にクッキーを焼いたり私の好きなチーズを大量に買ってきたりする。私はいつもそれらを「そうじゃねぇだろ」と半狂乱になってゴミ箱にブチ込みたい衝動を抑えながらニコニコ食べたり、時にはゴミ箱にブチ込んだりした。そんなにナーバスな気持ちになっちゃいけないのかよ。いつもいつも元気でいなきゃいけないのかよ。そんなの人間じゃねぇだろ。例えばそんな風に私が自分の気持ちを言葉で話し始めると、凶悪事件の被害者遺族みたいな顔をして延々黙っている。私が「なんで黙ってるの」とキレれば「どういえばいいか考えている」と言って逆ギレしだす。「物を渡してくるのはそうしてれば私の面倒な部分には一切触れないで済むし、なにか具体的にしてやった感と自己肯定感が手っ取り早く得られるからですよね?」とか言えば「あんたの分析は毒。言葉で話されるとまるで自分がその通りに考えてたと思ってしまう」とか言ってくる。なので「お母さんって泥みたいだね。私が何言っても自分の気持ちとか言わない。私がAと言えばそうだねAだねと言ったことについてやっぱりBかもと言えばそうだねBだねと言う。そうやって完璧に娘の意を汲む完璧な母親を志向してるのかもしれないけど、そんなの無理だし、それって完璧でもなんでもないから」「私、そんなに文章上手じゃないからあんたみたいに自分の気持ち言われへん」

あぁ不毛試合。そんな不毛試合をこちらから強制終了するために引っ越すんだった。鬱になってる場合じゃないんだ、早く業者を決める電話をしなきゃいけないんだと思ってキッチンに降りたら、母親がテーブルに小袋を沢山広げて、焼いたクッキーを小分けにしていた。「明日仕事場に持っていくねん」私が私のために焼かれたと思い込んでいたクッキーは、2、3個の歪な失敗作を残してカワイイ小袋に吸い込まれていった。