四散する私

くるべきメールがこないので新しいバイトに本当に受かったのかわからない。まっさきに思い当たる節として、性格診断の結果が悪すぎて、最後の最後で採用を見送られたのではないかと思う。性格診断というのは、世にも有名な"アレ"だ。就活をしたことがある人なら一度は受けたことがあるらしいが、今回初めてお目にかかって衝撃を受けた。その中では、Aという選択肢とBという選択肢が、なぜか質問者にとっては「相反する、決して両立しない性質」ということになっており、私は瞬間瞬間自らがAなのかBなのかを選ばなければならなかった。項目が「はい/どちらかといえばはい/どちらかといえばいいえ/いいえ」の4つしかないので「どちらでもない中間、またはどちらでもある」という答えは許されない。たとえ私自身が「ある時はAであり、ある時はBであるなぁ」と心から感じていてもだ。例えば、ある瞬間では私は組織の目的に殉ずる人間であり、次の瞬間では我が強くて攻撃的である。慎重で行動的。大胆で臆病。目立ちたがりの二番手、ブレーキを踏みながらアクセルをふかし、絶叫しながら沈黙する。選択肢をポチポチと決定するごとに、私の手によって私自身が引き裂かれ四散していく。私はなぜこんなことをしているのか。なぜここにいるのか。心から創作をしたいのではなかったのか。しかし同時に心から社会で働いて金と自由が欲しいのである。創作をする為に社会で生きる術が欲しいのである。そんな二律背反の人間性がにじみ出ていて性格診断で弾かれてしまったのではないだろうか。というか、まず、メールの返事がこないくらいでこんな無根拠な妄想をしている時点でヤバイのではないだろうか。

ダークな気分

登山する服をそろえようと思ってアウトドアショップに行った。ズボラしてユニクロで買おうと思ったけど、どうしてもズボンとレインコートだけは無かったからだ。ショップの店員さんはどこに行ってもちょっと強引で、大きく分けて二種類いる。1.山、めっちゃ怖い。最近の若いヤツマジナメとる。せやからこの装備とこの装備とこの装備を今すぐマストバイ 2.山登んの!?マジ!?面白いよ!?あっ私たちの仲間になってくれるよねこれとこれとこれ今すぐマストバイ っていうタイプ。ズボンとレインコートしか買ってないのに本当に疲れた。なんかいつのまにか書類書いて入会費1500円払ってモ○ベルの会員になってたし。低気圧で判断力が低下してたわ。家に帰ってからモン○ルの入会特典のばかでかいステッカーをぼーっと見てると、「アウトドアする=幸福な家族」という宗教に染まって思考停止した父親に、散々色々な場所へ連れ回された過去がフラッシュバックした。親父と愉快なアウトドア仲間たちの車にもいちいち貼ってあったわモンベ○ステッカーとお不動さんシール。私は運動が大嫌いであらゆるスポーツを憎悪する子供だったので、みんなで仲良くスキーやキャンプをしたりしている間中ずっと、この中の誰かが突然血を吐いて死ぬとか、今この瞬間に突然世界が終わるとか、死んだ目をしながら物騒な妄想ばかりしていた。それが今は自分の給料から2万も3万も出して、試着室で律儀にサイズ感とか確かめて山ガールのコスプレを揃えてるのだから、回りまわって子供時代の宗教が実は居心地よくて戻ってきただけでわ…??? というダークな気分。苦痛なだけの子供時代とは思春期や成年期になってから自身の挫折の責任を親に転嫁する為都合よく塗り替えられた記憶で実際はそれなりに幸福だったのである、とか分かったようなことを言うつもりは微塵も無いんだけど、まぁでも、そういえば、旅行の前日はそれなりにワクテカしていました。

人生の仕事

友達に片道一時間半かけて会いに行った。40代のおっさんである。経歴がちゃらんぽらんな人で、最近の職業はザ・アウトサイダーアートな絵を描く自称食えない画家だ。そんなおっさんと話せば、私のこの人生に対する態度の「固さ」みたいなものが、多少なりとも中和できるのではないかと思った。

 

ところで私はおっさんに一時期構い倒されていた。こいつは気があるんじゃないかと警戒していた。だけど今は思い返すとあれは、誰にでも距離をゴリッと詰めるおっさんのやり方と、「人生に彷徨える年下の人間」を気遣う年長者のやさしさの態度だったのではないか。私も大概視野が狭くて自意識過剰だし、なんか申し訳ないことを思ってたなーという気持ちがずっとあったから、改めて適切な距離感の人間関係を築きたいという思いもあった。

 

で、待ち合わせして会って、喫茶店で話したいと言うと、おっさんはものすごく渋って「…なにか買って、車の中で話さへん?」と言った。アカン、やっぱこれヤられると思った。ヤられたくなかったので話している間はいつでもドアをあけて逃げられる心の準備だけはしておいた。

 

仕事で描いてると思っている。崖っぷちやから。とおっさんは言った。崖の下は社会的な転落を意味するのかと思ったけれど、よくよく聞くと「死」だった。自分はアーティストではない、これが仕事だと思ってるから、拙くても評価されなくても嫌でも毎日やる。毎日考える。とおっさんは言った。私は車のドアに手をかけながらも改めておっさんを尊敬した。

 

19歳の頃がピークでそこから感性が毎年腐り続けていると思い込んでいた。でも、一昨年とか去年の自分の文章を読むと、あれっ結構面白いぢゃん…と思える。感性は緩やかに変化しているだけだ。未来のあるかないかわからない幸せを担保にして今死ぬほど苦労している人ってよくいるが、私の場合は過去のもうよくわからなくなっている自分を万能の担保にして、今から目を背けているのではないかと思った。感性はいつも私の傍にあって、私はそれをどんな形であれ努力をして表現し続けなければならない。それが私の人生に課せられた仕事だ。

 

おっさんは家まで送ってくれた。しかし、明らかに何回かカーナビの記す道から外れていた。しかも「俺、人ひいたことあるねんタハハ」マジデカ。このDEAD or SEXみたいな状況で久しぶりに車酔いしながら、そんなことを考えた。「おかあさんがいえでばんごはん作ってくれてるから…」と色濃く残る幼児性を強調したので無事に帰れました。

はてなブログに移行しました。

じゅげむブログの閉塞感に我がはちきれんばかりの自己顕示欲が耐え切れなかったので、はてなに引っ越してきました。突然、記事にちょいちょいウィットに富んだ見出しをつけなければならないのではないか…とか、内容もなんか意識高いことやみなさんに有益なこと、シェアすべきことを書かなければならないような気がしてきましたが、なるべくマイペースにやっていきたいと思っています。

簡単に自己紹介をしますと、漫画を描いていましたが紆余曲折あって意欲が撃沈してしまったので、今はここでテキストを書いたりタンブラーに写真をアップしたりしています。いつもなにかをひと手間かけて発信する人であろうと思います。ペン入れしてトーン貼ってのふた手間をする気力が今は無いです!

・埋没法で二重にプチ整形する(湘南美容外科)

Nikonの一眼レフを買う

・デカいペンタブを買う

直近のデカめの欲望についてはこの三択で迷っていますが、たぶん二番になりそうです。一番と三番は追々。このブログをここに移行するにあたって過去ログをざっと読み返しましたが、もう別人ですね…。一昨年ぐらいのこの人の考えていることは本当に分かりません!! ただ「整形すること」について「ふわっとした傷つかない(=非現実的な)妄想」とか言ってる件についてですが、今の私はマジの本気MAXで二重にしたいです。

アラサー ピアス

このブログのアクセス解析、検索ワード見るのがなかなか面白くて、今のところ一番多いのは「マインドブロックバスター 詐欺」の類いなんだけど、「アラサー ピアス」も結構多いです。アラサーになってピアスデビューをしようとして、不安で検索してる人が多いのかなと思って勝手に親近感がわきます。私は今年の1月頃にあけたのですが、消毒をテキトーにやったりやらなかったりしていたら全然穴が安定せず、一昨日ピアスホールの後ろあたりから突然血とリンパ液が大量に出てきまして、触ってみたらプニプニしてたんで、ググッてみたら「肉芽」というデキモノっぽいです。ピアスという異物を除去しようとする身体の働きでできてしまうニキビの親玉だとか。早速対処療法としてググッてでてきた「ホットソーク」をしてみました。免疫力を高める為に塩を溶かしたお湯に患部をつけて15分じーっとしてるというヤツです。ダイニングテーブルに突っ伏して15分も片耳をボールに浸してじーっとしてると、新聞も読めないし携帯の充電も無くて、湯気で温まってきた脳みそはひとりでに空転しますし、とにかく惨めなので色々なことを考えます。みんなこういった惨めさは10代の時に経験して終わってるんだろうなとか。本来ホットソークって「明日のテストやばいのにぃ~><」とか、そういうキラキラしたことを考えながらやることじゃないのとか。そもそも私は「肉芽」も「ホットソーク」もさっきググッて初めて知ったのに、10代でピアス開けたやつらはおませな親友とか部活の先輩とかエッチなおねーちゃんとかに教えてもらったりしたんだろうなぁクソとか。そのような私が夜中に「アラサー ピアス」でググッてきたお前に言いたいことは、いいから空けろ、そして苦しめです。

フク、フクフク、フクフクフクフクフクフク

トキワ壮プロジェクトに応募したけれど審査で落ちたので、浮いた引っ越し資金で好きなことをしようと思った。好きなこととして一番に思いつくのが「洋服をしこたま買いたい」だった。私は服コンプレックスが異常に強い。「外に着ていく服が無い」という理由で引きこもりになったくらい。おそらく大部分の普通の人は、なにか新しいことをしようとする時「人の真似をする、先人からとりいれる」ということが無意識的というか身体的にできるのだろうけれど、私は「よし、真似をしよう」ということを一旦頭で考えたり言葉で分析しないとできない性質で、しかもそういう性質だとまだ分かっていなかったので、どういった服を着たいとか着ればいいとかは大人になれば自然と身に付くものだと思っていた。そして身についてなかったのでパニクッた。服屋に行こうにも、当然のようにオシャレをしている他のお客さんや店員さんが怖すぎて、パニック発作で眩暈を起こしながら服を買ったこともある。友達に協力してもらって大分克服したけれど、今でも頭の調子の悪い時は服を選ぶことができない。しかし、躁状態に近い時は「一年中洋服のこと考えていたい…」とか思て、夜中までぼーっと通販サイトを見ていたりする。なぜなのか。

私の場合、洋服を購入したいという欲求は、DNAレベルで刻まれているのだろうと思う。母も、そして私の祖母にあたるその母もまた、身の丈に合わないほど大量の洋服に埋もれて生活してきた人だからだ。いつも子供の私を連れて街へ出かけては、本屋で私に「スーパーマリオくん」の単行本を買い与えて大人しくさせ、紙袋いっぱいになるまで服を購入していた。大人になってからそんな母の姿を思い出し、服を買うことでなにかから逃げている、なにかを隠している、欺瞞だのビョーキだのと批難してきた。もしかしたら今まで長らく「どういう服が着たい」とかいう欲求が沸いてこなかったのも、母の姿を見て感じた「服が欲しいという気持ち」への嫌悪で抑圧していたのかもしれない。でも、この年になって思うのは、欺瞞でもビョーキでもいいから服でも買わんと人生やってらんねーなっていうことです。

因みに、私のバイト先では、仕事のできなさとオシャレ度(服にお金かけてそう度と言った方が適切かもしれない)が正比例しています。

ふしぎな岬の…アレを見ました

これはヤバイ映画です。こんな映画がフツーに映画館で上映しているなんて、サユリストの権力は日本映画界のみならず、おそらくある程度マスメディアや政治を牛耳る段階にきています。こうしてふしぎな岬disをダカダカ打っている私も、サユリストが全国に言論統制の為に派遣したサユリストのスナイパーに頭蓋骨をターゲティングされているに決まっています。そのくらいクソすぎて上映していること自体がふしぎな映画です。サユリストは国を動かしている。 たとえば結婚式場で一人だけ参観日のお母さんみたいな服着て給仕に勤しむサユリ。それめっちゃ汚れるで!? そして酔った嶋田久作に酌をしろと絡まれて「ゃめてくださぃ…ゃめてくださぃ…」と縮こまるばかりのサユリ。おいおい酸いも甘いも噛分けたババアだろ!? いちいちアップになるリアクションはなぜか寄り目がちで、まるで初めて下ネタを聞いた17歳の少女のよう。いい加減にしろよババアだろ!? 毎朝泳いでてもババアだろ!? とかいうマトモなツッコミをした演出家はおそらく、残念ですがサユリストに抹殺されてもうこの世にはいません。演出家だけではありません。他にも、あんなシーンこんなシーンに疑問を持った沢山の誠意あるスタッフたちは一体どこへ…。もはやみなまで言いますまい。 基本的にありとあらゆる男からの好意矢印がサユリに向いています。甥っ子のアベカンとか、よくわからん仕事してるツルベとか、胃がんのおじーちゃんとか、老若男男神聖モテモテサユリ王国です。特に胃がんのおじーちゃんは、サユリの入れたカフェインたっぷりの真っ黒な刺激物を出血する胃に流し込んで「ヴッ…おいしー^^;;;;;」ゆーてまでサユリに猛アピール。しますが、ワンカットごとにサックサク弱って実にテンポ良く死にます。ホップステップジャン死です。その娘である竹内ゆーこはアベカンに「サユリ様のかわりでいいから抱いて…」とか言ってます。このふしぎな岬では、女と書いてサユリには永遠に勝てない二番手と読みます。そしてモノローグで突然ツルベと結ばれるサユリであった。どどっどーゆーことやねん。これがサユリストの目玉が見る世界か。これがサユリストの鼓膜が聞く世界か。そう、こここそがサユリストパラダイス。わしにはわからん。なんもわからん。しかし、これを自分でプロデュースしてるとかほんと痛ぇバ(ブログはここで途絶えている)