社会的透明人間

バイト先に、会社の業種に似つかわしくないカンジの騒々しいおばさんがやってきて、なにごとやーとオロオロしていたら保険のセールスらしい。保険のセールスのおばさんってほんまにおるんや。老人か金持ちの家にしか現れない人たちやと思ってたわ。おばさんは「何歳までにいい人見つけて結婚しなさい、親を安心させるために出産しなさい」と会社の若い人たちに次々と人生のアドバイスをしていた。正論っぽいことを真正面から雑にぶつけてくる人っておばさんに多いけど、相手すると言葉にコントロールされてめっちゃ消耗する。ので、私はロクに挨拶もせずにサッと他の人におばさんを投げて仕事に戻った。

 

おばさんは一人一人を見渡して言った。「目を見れば大体その人のことがわかる。○○さんはいい目をしてる。○○さんも勢いがある目をしてる」そうして、私のことはスルーした。透明人間になったらこんな感じなのかな。まぁでも、挨拶しなかったしな…。

 

おばさんが帰ったあと、「保険入ってる?」と話を振られて固まった。なんせ、こちとらハタチ過ぎてから年金すら払ってこなかった身だし、友達とは自分たちが60歳以上生きる前提の話をしたことがなかった。年金を払ってないことを、こうして他人に言えるようになったのも最近だ。正規雇用の人ってこんなカジュアルに、それこそ「ランチどこいく?」みたいなカンジで「保険入ってる?」とか人に振るんだ、カッケェ~と思いながら、「というか、年金すらだ~いぶ払ってないから、まずそっちを今からなんとかしなきゃいけないんで、自分の生き死にのこととかなるべく考えないようにしてますね…」「それはやばいね。それはやばい」二回もやばい言われた。さしずめ私は、将来をロクに考えてないバカ、ということになるのか。特に遊びまくってきた覚えもないし、人生を自分の好き勝手にしたという実感も、散々好き勝手しておいて実はあまりない。将来をロクに考えてない以前に、自分がなにをロクに考えてなかったのかすらロクに考えられないまま年ばかりとってしまった。保険とか年金とか結婚とか出産とか老後とか、そういった社会的な営みからしたら、その一切がいまいち自分の延長線上としてピンと来てない私は、本当に透明人間なのかもしれない。

ひとり芝居へようこそ

結局、バイトにいる男の子の7割を一回は好きになった。私は好きになる度に芝居をした。本当は誰でもいいから好きになるために芝居をしていたのかもしれないけれど、とにかくステージにあがりたいからその為には芝居をしなければいけないと思った。世間知らずなところを強調して、相手が調子に乗って俺スゲェ話でマウンティングしてくると「へぇ~すごいですねぇ~」と三倍くらい感心して、いいところややってることを血眼になって探しては褒めまくって、意識的に語彙を減らして呂律の回らない感じで話したりした。数うちゃあたる方式でその中には私を好きっぽくなってくれる人もいたんだけど、途端に「クソみたいな私なんかのクソ芝居に引っかかるものすごいクソバカ」に見えて、すごく気持ち悪くなってダメだった。

 

三文芝居にひっかからないいかにも遊んでそうなやつとかもいたんだけど、その手の人の背後にはいつもHG創英角ゴシック#blackで私への罵倒が書いてあるのが見えた。「アラサーの欲求不満ババア」「漫画描いてたとかニート期間隠すための嘘だろ」「自己顕示欲の塊の痛いブス」「底辺高卒のフリーターは俺と釣り合わないから」「メンヘラ女とは関わりたくない」とか、その人の横んとこの空間に特大サイズで書いてある。なので、その文字ばっかり読んでる。

 

今日も新しい男の子がやってきた。服も髪も態度も履歴書も何もかもよれよれで、モラトリアムの空気が口の端っこからいつもダダ漏れてそうな人だった。高そうな腕時計がアンバランスさの象徴みたいだった。絶対知らないようなマイナーなマンガ家が好きとかゆーから、誰やと思ったら丸尾末広。どちゃくそ有名じゃねーか。読んだことないけど。なんで古谷兎丸の話とかしてたら「でも、僕、知り合いの女の子で丸尾末広知ってたらヒキます。頭おかしいんじゃねーのと思って」とか言われて、「アハハ、そぉですかぁ^^」とか返しといたけど、なんかモヤモヤでいっぱいになった。女だったら特定の漫画は読まないでほしいとかいうダサくて古臭い価値観を女の私の前で披露してくるのもシャクだったし、そういうことを言える時点で「あっ今この瞬間コイツは私を女枠から除外しことを表現したんだな」ってのもシャクだったし、そいつのことちょっとかっこいいなって思ってたから余計シャクで、イライラして頭に血が上ってボーッとした。一旦この状態になるともうダメで、ミスをしたり人の話が頭に入ってこなかったりした。

 

そうやって右往左往しながらも平静を装い、そして中学生のようにボロを出している私を、いかにも性欲を抑圧してそーな女の子がじとっと見てくる。「またかよ、落ち着けよ…w」みたいな目だ。心の中で「バーーーーーーカ」って言い返す。あんたの気持ち知ってる。私ちょっと前までそこにいたもん。バカだなって思ってんだろ。無様だなって。私だったらもっとうまくやれるわ、もし、その時が来たら…その人が現れたら…とか思ってんだ。ほんとは羨ましいんだろ。ほんとは今すぐ私みたいに躍りたいんだろ。でも浮かれたり傷ついたりすんのが恥ずかしいから足が動かないんだ可哀想に。いいか。"その時"なんて待ってても一生来ないぞ。"その人"なんてそのままいい子にしてても一生現れねぇからな。芝居に出る気の無い臆病な奴は、そこのB席5,400円でオペラグラス使って指咥えて見てろよ。バーーーーーーーーカ。だけどその客席にいる女の子もよく見ると私だったりする。

弱さと悪は近接している

その時間帯のミスは全てその人のものになるし、その人の行為は基本的に全て疑うし、その人をあからさまに軽蔑する態度はとってもいいことになっている。私も完全に流されてしまっている。その人がひとたびミスっぽいことをすると、怒りで脳みそがぎゅうっとなる。ああこの私の正当な集団の為の怒りを怒らないと、今すぐ周囲に表現しないとと思う。なんだかこのこのぎゅうっには、少なからず下卑た嗜虐性を孕んでいる気がしてならない。

TSUKARE

バイトA(接客業)ではキツくて地味めな仕事Ωがあって、これを全然みんながやらない。みんながやらないからやっている。こういう誰かがやらなかったことをやりながら静かにイライラを募らせていると、いつも中学の頃牧師に聞かされたマルタとマリアの姉妹の話を思い出す。姉マルタがイエスをもてなそうとあれこれ準備している間、妹マリアはイエスの傍でお話に聞き入っていた。マルタは自分ばかり働いていることを不満に思い、「マリアにもっと働くように言ってください」と言ったが、イエスはそんなマルタを「お前は心を乱している。マリアは正しい方を選んだ」と叱った。要約するとこんな感じなんだけど、要するに、こうして「お前は間違ってる」とイエスに叱られるのではないかとビクビクしながら仕事Ωをしてイライラしている。なんだそれ。イエスに言われるまでもなく、多分私が本当にやらなきゃいけないことは、自分のキャパを越える前にきちんともうダメサインを出して他の人にバトンタッチしたり、自分だけがやっている!とイライラする前に実はみんながやっていることが沢山あるんだってことをきちんと認識したり、掛け持ちやから週2でシフト出してるのに週4入れてくるとか日本語わからんのかボケと一人でキレる前に6連勤してる人の存在をきちんと認識したり、自分が楽することばっかり考えてるフリーター男は訳知り顔で無駄にエラソーにする前に今すぐネクタイ絞めてどっかの会社の面接行ってこいやそして地獄に落ちろとか呪詛の言葉を前頭葉につらつら並べる前にきちんときちんときちんときちんときちんときちんとンアァ~っでももぉあとちょっとでここも辞めるからもうどうでもいいです。はい、そんなことより、少なくとも仕事中にケータイをいじって憚らないやつよりこれから先一週間だけ10円でいいからこっそり時給をあげてくれ。イエスの救いは要らんから10円でええんや。それでみんなが買えないポテチを帰りのコンビニで買えるからわしはそれでええんや。

挫折の季節

バイト先A(接客業)にあんま仕事しないオシャクソサブカルイケメン大学生がいて、仕事しないので「桐島部活辞めるってよ。が好きだ」の話になった。どっかの批評サイトからパクってきたの丸出しの「キリストで暗喩でゾンビでカーストがどーのこーの」と語るのを、へぇーうんうんと熱心に聞くふりをして、「で、誰に感情移入して見てるの?」と聞いたら、期待通りの東出君だった。私の観測範囲内で桐島サイドに感情移入してる人を初めて見た。他者だ。というか毎日他者と接しているはずなのに、彼ら彼女らをはっきりとゆっくりしっかりと「他者だ。」と認識する瞬間は案外少ない。なんとなく話通じないからって突き放すように「他者だ!!」と思ったりはするのだけど、その時は「他者だ。」と思った。映画自体の解釈もまったく違って、「映画部」を未知の外部からやってきた害悪にして己の価値改革の福音のように語るので、なんかスゲェと思った。

 

彼は漫画が好きで、私が以前出張編集部に持ち込みして玉砕した雑誌の新刊がお気に入りらしい。漫画って漫画好きな人しか読んでないと思ってたんだけど、漫画好きな人の中にも死ぬほど色々な層があって、それはこのブログでも多分そうで、ひとたびなにかを書いたら、相容れない価値観や境遇を持ってる人にも届くのかもしれない(既に届いているのかもしれない)と改めてきちんと感じた。興奮すると同時に凄まじい恐怖が私の身体を貫いた。こんなに違う人に読まれるなんて、ひていされるかもしれないんだ。きらわれるかもしれないんだ。むしされるかもしれないんだ。こわい。私はみんなに好かれる「べき」で、愛されないと存在してはいけないのに。

私の全人生のあゆみを止めているものの正体が影絵のように浮き出てくる。それは両親でも妹でもなく、「傷つきたくない」というあまりにも凡庸な気持ちだ。あ~傷つきたくない、あぁ~傷つきたくない。ってちゃんと書いたら多少マシにならないかなと思って書いています。

 

 

お世話になっております

バイトB(会社)で電話に出ている。毎日同じ取引先の大体同じ人から電話がかかってくるのに、いちいち「お世話になっておりますぅ~」とかお互い言う。酷い時には一日何回も同じ人と「お世話になっておりますぅ~」と言い合う。それがおかしくて、どんだけお世話になってるんだよと、お世話の正体とはいったいなんだよと居心地が悪いんだけれども、この感覚もすぐに薄れるんだろうなと思う。こないだは初めて会社の客にお茶を入れた。「お茶くみとコピー」=「主に女性がやらされる屈辱とされている仕事」というフィクションのイメージが先行して、お茶くみをした瞬間私の中のなにかが失われるのではないかと思っていたが、なんかごっこ遊びをしているような感覚のまま、あっという間に終わった。会社は形の世界だ。決まったテンプレートで生身の人間のコミュニケーションが覆われて、言葉は一つの意味の信号でしかないようにふるまうのが適切な場所。その辺は楽だ今のところ。

 

ところで私と同期で入って一週間でバッくれたヤツがとんだキチガイだったようで、会社の人がおろおろしていた。みんながそのキチガイからの攻撃やディスコミュからくる怒りを持て余して、そいつがどういう生活をしている人間かを、恋してるみたいな熱量で自由に想像していた。一人が「ああいう人間が生活保護を受ける。それが許せない」と言った。きっと、弱者はしおらしく清廉潔白でなければいけないと思っているんですね、無邪気な人だニャと思った。「かわいそうな人なんじゃないですか」と言ったら、「でも同情できないよ」と返された。私は全然同情しているのではない。他人をかわいそうがることは軽蔑と同じだから。でも言わない。言わないそんなこと。だってテンプレートじゃないし。

 

最近こうして言わないでおく言葉がものすごく多くなってきた。感性が活性化してきたということなんだけど、漫画も描いていないしカウンセリングも長いこと行っていないので吐き出すところが無い。そろそろ醸成されて色々描けそうな気もするし、突然風船がパチンと弾けるように溜まった言葉が頭をぐっちゃぐちゃのパァーにして無職に舞い戻るような気もする。その時はその時でまた年金猶予の届け出を市役所に出して猫と遊びます。

ダブルバインド

死にそうなほど働いているイケメンの店長にいい顔したくて「もっとみんなに甘えたらどうですか?^^」とか言っといて、実際にそういう風な態度をとられると「(寝ボケたこと言ってんじゃねぇぞ。本心曝して弱音吐いて同情ひいて人操ろうとするクラブ活動の方向性から脱却しろよ。もっとひいて集団を見て上手に嘘ついてコントロールしろよ。アサーションくらい勉強しろよクソが)」と思っている。完全なるダブルバインドである。というか思い返せば男性に全体的にダブルバインドを使っている。いつでも大体、褒めながら軽蔑しているし、質問しながら興味ねぇし、弱味を見せながらバカにしてるし、受け入れながら拒絶している。拒絶しながら希求している。以前女である私の目の前で「女が怖い、嫌い」と言ったやつがいた。そいつはもうそんなこと覚えていないだろうけれど。その時私は「(テメェが怖いのはどうせ女自身じゃなくて女というスクリーンに投影されている自分自身の性欲のコントロールできなさだろーが)」と思っていた。それは今も思っているが、さらに思うのは羨望だ。私だってテメェの前で言ってやりたい。私、男が大嫌いなの。特に私のお父さんに相応しくないようなバカとガキはむかつくから全員今すぐ死んでよって言ってやりたい。言ってそれを許されたい。絶対無理だけど。

 

そんなことを毎日考えているせいなのか、寺に座禅を組みに行った時、初対面のお坊さんに「きみはなんか怖い」的なニュアンスのことを言われてドキッとした。一緒に行った男の子は五つも年下なのに普段着が250円の着物でお爺ちゃんみたいな人で、私はいい年こいて『お嬢さん』になっていた。

「わたくし、こう見えて、西成区に興味がありますの。以前、三角公園や新地にまで、おっさんのお友達と連れ立って行きましたのよ。それはもう、とっても恐ろしいところでしたわ」

「そうですか。僕は休日のガイドのボランティアでたまに外国人を連れていくのですが、いつも驚かれます。『すごく平和なスラム街だね』、と。清潔だねと言われます」

「まぁ…今なんと」

「だって、死体が道に転がっていたりしないでしょう? 清潔ですよあの街は」

大体このような嘘みたいな会話をした。

 

私は猫だ。家から脱走しても家の周りをうろつくだけで本当は捕まえてもらうのを待っている我が家の猫と同じだ。こうして猫に若干自己投影しているから、母親が脱走した猫を抱えて「可愛いでちゅね~怖がりだから遠くに行けないんでちゅね~」と帰ってくる度に胃の奥のあたりがみしっと重くなる。帰ってきた猫のウンコ姿に心底安堵しながら「(テメェ早速にゃんとも清潔トイレしてんじゃねーよボケ。おんもでうんこしっこの一発ぐらいしてこいや)」と思っている。ダブルバインドの対象範囲は種を越える。

 

ところで今日、常連のお爺ちゃんが、髪を短くした私の姿をまじまじ見て「どうしたん。卒業か? 就職か?」と言った。就職はしないが転職はする。私はなんだか気恥ずかしくて、暫く下を向いてレジを打っていたのに、顔をあげるとまだ私のことをじいっと見ていた。そして「あんまり見てたらあかんな」と照れ隠しみたいに付け足して店を出ていった。ニートの時の法事や正月で親戚中からああいうカンジの湿度の高い眼差しで見られて、その度に惨めな思いをしたことを思い出したのだけれども、今回はそんなに気持ち悪くなかった。