鏡面世界と全体性の回復

ブログを書き始めてから、年末はいつもまとめ的なものを書くのに気持ちが追い付かず、不穏な記事で終わってしまっている気がする。

 

2014年私はある時はAであったのに、次に起こった似たような案件でBになるという事態が多発した。AとBという言葉は加害者と被害者とか、観察者と行為者とか、○○る人と○○られる人とか、そういったとにかく不穏なカンジの対義語に置き換えられる。振り返るとそれはまるで鏡面世界を生きているようだった。勿論実際は違うだろう。私は登場人物も時期も条件も全く違う案件X、案件Ω、案件♪を、「似たような」という言葉で一括りにしている。そしてあなたは私で私はあなたみたいな思い込み、世界の姿を正確に観測できていない証拠です。観測の正確さ云々というより寧ろ行為者としてもっと実感を持つというか、責任をとるべきなのかな。もっともっとものごとを自分に引き寄せて、つど自分はどうしたいのか意識的に選択していくべきヤナッ。とゆーか実際は起こった出来事を自らの選択結果としてただ粛々と意識的に引き受けることしかできないのカナッ人間だからッ言うだけは簡単ヤデッシカシッ。

 

そーいやこないだバイト行く時に家の鍵が特定の場所においてなくて家から出られないパニック!!ってなった。私はものの置き場所に関してはきっちりした人間だから、ペンはここ消しゴムはここカギはぜったいここっていうのがあるので、どっかテキトーにどっかやるっていうのはありえないことです。もー私のあずかり知らぬ無意識はそんなにバイト行きたくないのか、そして特定の人物との人間関係における問題に直面することから逃げたいのかと思った。そして無意識を宥めまくって説得しまくって、よっしゃお前の言い分は黙殺しないし十分わかったからもう腹くくるわ!!! まぁ俺がなんとかするわ!!! と思ったら、サーッと手の中の鍵の感覚が戻ってきて、そーいや昨日上着のポケットの中で握ってたわ!! と、昨日着てた上着のポケットの中を探したら本当にあったんですよ鍵が。18歳のときに初めてのバイトの三回目くらいで全く同じような状況に陥った時は、ただパニックになって、結局窓から這い出てバイトに行ったんだけど。(笑)そんなやり方で無意識の抵抗を、毒親流秘儀強制抑圧突破してた時と比べるとすごい対話できてるし、あぁ今この瞬間の私は無意識と意識が確かに一個人になって全体性を回復したんだ、これからも無意識が人生にどうこうしたとしても、このようにして意識的に選択していけるナーと思いました。これは個人的にはたいへん劇的な出来事でした。しかし、その特定の人物との人間関係における問題は依然として係争中です!! なんとかできねー!!

自由になりたい

母親に、まんこに小型GPSを仕掛けられる夢を見たことがある。起きたあともしばらくの間怒りが収まらなかったのが不思議だった。

 

体調も天気も悪いわけではないのに、どうしてもバイトに行く元気が無い朝だった。「今日休もうかな(笑)」私はいちいち語尾に「かっこ笑い」をつけないと弱音が吐けなくなっていた。リビングで一心不乱にLINEをしていた妹が、携帯に目を落としたままぶっきらぼうに答えた。「は? そんなんで休めるもんなん?」「…いや、そら風邪ひいたことにするとか(笑)」「私、風邪ひいて仕事休んだことないわ」返事を自分の話に持っていくやり方がこないだ見た「紙の月」に出てくる田辺誠一にそっくりだと思った。いつもいつも自分の話ばっかりしてんじゃねぇよ。私はしんどいんだよ。ちょっとは私の話を聞けよ。ポーズだけでも共感しろよ。いつもいつも私が、想像力と共感性に乏しい母親の代わりに、お前にやってやってるみたいなリアクションをとれよ。という気持ちを、相手に伝わり易い言い回しに変えたりするひと手間をかける気力がもう無くて、「オマエさぁ…死ねよ(笑)」とだけ言って家を出た。

 

電車に揺られていて、「紙の月」の終盤を思い出す。お局さん的な立場の小林サトミが『自分も好きなことをしようと考えた時に、徹夜ぐらいしか思いつかなかった』というセリフだ。私も今、仕事をほったらかして好きなことをしようと真剣に考えてみたが、このまま引き返して家で一日寝るぐらいの選択肢しか思いつかなかった。今すぐ会いたい彼氏もいない。飛び出して行きたいところも無い。浴びるほど飲みたい酒もたらふく食べたいものも無い。何に代えても綴りたい物語も無い。つまんないつまんないつまんない。自由になりたい。

四散する私

くるべきメールがこないので新しいバイトに本当に受かったのかわからない。まっさきに思い当たる節として、性格診断の結果が悪すぎて、最後の最後で採用を見送られたのではないかと思う。性格診断というのは、世にも有名な"アレ"だ。就活をしたことがある人なら一度は受けたことがあるらしいが、今回初めてお目にかかって衝撃を受けた。その中では、Aという選択肢とBという選択肢が、なぜか質問者にとっては「相反する、決して両立しない性質」ということになっており、私は瞬間瞬間自らがAなのかBなのかを選ばなければならなかった。項目が「はい/どちらかといえばはい/どちらかといえばいいえ/いいえ」の4つしかないので「どちらでもない中間、またはどちらでもある」という答えは許されない。たとえ私自身が「ある時はAであり、ある時はBであるなぁ」と心から感じていてもだ。例えば、ある瞬間では私は組織の目的に殉ずる人間であり、次の瞬間では我が強くて攻撃的である。慎重で行動的。大胆で臆病。目立ちたがりの二番手、ブレーキを踏みながらアクセルをふかし、絶叫しながら沈黙する。選択肢をポチポチと決定するごとに、私の手によって私自身が引き裂かれ四散していく。私はなぜこんなことをしているのか。なぜここにいるのか。心から創作をしたいのではなかったのか。しかし同時に心から社会で働いて金と自由が欲しいのである。創作をする為に社会で生きる術が欲しいのである。そんな二律背反の人間性がにじみ出ていて性格診断で弾かれてしまったのではないだろうか。というか、まず、メールの返事がこないくらいでこんな無根拠な妄想をしている時点でヤバイのではないだろうか。

ダークな気分

登山する服をそろえようと思ってアウトドアショップに行った。ズボラしてユニクロで買おうと思ったけど、どうしてもズボンとレインコートだけは無かったからだ。ショップの店員さんはどこに行ってもちょっと強引で、大きく分けて二種類いる。1.山、めっちゃ怖い。最近の若いヤツマジナメとる。せやからこの装備とこの装備とこの装備を今すぐマストバイ 2.山登んの!?マジ!?面白いよ!?あっ私たちの仲間になってくれるよねこれとこれとこれ今すぐマストバイ っていうタイプ。ズボンとレインコートしか買ってないのに本当に疲れた。なんかいつのまにか書類書いて入会費1500円払ってモ○ベルの会員になってたし。低気圧で判断力が低下してたわ。家に帰ってからモン○ルの入会特典のばかでかいステッカーをぼーっと見てると、「アウトドアする=幸福な家族」という宗教に染まって思考停止した父親に、散々色々な場所へ連れ回された過去がフラッシュバックした。親父と愉快なアウトドア仲間たちの車にもいちいち貼ってあったわモンベ○ステッカーとお不動さんシール。私は運動が大嫌いであらゆるスポーツを憎悪する子供だったので、みんなで仲良くスキーやキャンプをしたりしている間中ずっと、この中の誰かが突然血を吐いて死ぬとか、今この瞬間に突然世界が終わるとか、死んだ目をしながら物騒な妄想ばかりしていた。それが今は自分の給料から2万も3万も出して、試着室で律儀にサイズ感とか確かめて山ガールのコスプレを揃えてるのだから、回りまわって子供時代の宗教が実は居心地よくて戻ってきただけでわ…??? というダークな気分。苦痛なだけの子供時代とは思春期や成年期になってから自身の挫折の責任を親に転嫁する為都合よく塗り替えられた記憶で実際はそれなりに幸福だったのである、とか分かったようなことを言うつもりは微塵も無いんだけど、まぁでも、そういえば、旅行の前日はそれなりにワクテカしていました。

人生の仕事

友達に片道一時間半かけて会いに行った。40代のおっさんである。経歴がちゃらんぽらんな人で、最近の職業はザ・アウトサイダーアートな絵を描く自称食えない画家だ。そんなおっさんと話せば、私のこの人生に対する態度の「固さ」みたいなものが、多少なりとも中和できるのではないかと思った。

 

ところで私はおっさんに一時期構い倒されていた。こいつは気があるんじゃないかと警戒していた。だけど今は思い返すとあれは、誰にでも距離をゴリッと詰めるおっさんのやり方と、「人生に彷徨える年下の人間」を気遣う年長者のやさしさの態度だったのではないか。私も大概視野が狭くて自意識過剰だし、なんか申し訳ないことを思ってたなーという気持ちがずっとあったから、改めて適切な距離感の人間関係を築きたいという思いもあった。

 

で、待ち合わせして会って、喫茶店で話したいと言うと、おっさんはものすごく渋って「…なにか買って、車の中で話さへん?」と言った。アカン、やっぱこれヤられると思った。ヤられたくなかったので話している間はいつでもドアをあけて逃げられる心の準備だけはしておいた。

 

仕事で描いてると思っている。崖っぷちやから。とおっさんは言った。崖の下は社会的な転落を意味するのかと思ったけれど、よくよく聞くと「死」だった。自分はアーティストではない、これが仕事だと思ってるから、拙くても評価されなくても嫌でも毎日やる。毎日考える。とおっさんは言った。私は車のドアに手をかけながらも改めておっさんを尊敬した。

 

19歳の頃がピークでそこから感性が毎年腐り続けていると思い込んでいた。でも、一昨年とか去年の自分の文章を読むと、あれっ結構面白いぢゃん…と思える。感性は緩やかに変化しているだけだ。未来のあるかないかわからない幸せを担保にして今死ぬほど苦労している人ってよくいるが、私の場合は過去のもうよくわからなくなっている自分を万能の担保にして、今から目を背けているのではないかと思った。感性はいつも私の傍にあって、私はそれをどんな形であれ努力をして表現し続けなければならない。それが私の人生に課せられた仕事だ。

 

おっさんは家まで送ってくれた。しかし、明らかに何回かカーナビの記す道から外れていた。しかも「俺、人ひいたことあるねんタハハ」マジデカ。このDEAD or SEXみたいな状況で久しぶりに車酔いしながら、そんなことを考えた。「おかあさんがいえでばんごはん作ってくれてるから…」と色濃く残る幼児性を強調したので無事に帰れました。

はてなブログに移行しました。

じゅげむブログの閉塞感に我がはちきれんばかりの自己顕示欲が耐え切れなかったので、はてなに引っ越してきました。突然、記事にちょいちょいウィットに富んだ見出しをつけなければならないのではないか…とか、内容もなんか意識高いことやみなさんに有益なこと、シェアすべきことを書かなければならないような気がしてきましたが、なるべくマイペースにやっていきたいと思っています。

簡単に自己紹介をしますと、漫画を描いていましたが紆余曲折あって意欲が撃沈してしまったので、今はここでテキストを書いたりタンブラーに写真をアップしたりしています。いつもなにかをひと手間かけて発信する人であろうと思います。ペン入れしてトーン貼ってのふた手間をする気力が今は無いです!

・埋没法で二重にプチ整形する(湘南美容外科)

Nikonの一眼レフを買う

・デカいペンタブを買う

直近のデカめの欲望についてはこの三択で迷っていますが、たぶん二番になりそうです。一番と三番は追々。このブログをここに移行するにあたって過去ログをざっと読み返しましたが、もう別人ですね…。一昨年ぐらいのこの人の考えていることは本当に分かりません!! ただ「整形すること」について「ふわっとした傷つかない(=非現実的な)妄想」とか言ってる件についてですが、今の私はマジの本気MAXで二重にしたいです。

アラサー ピアス

このブログのアクセス解析、検索ワード見るのがなかなか面白くて、今のところ一番多いのは「マインドブロックバスター 詐欺」の類いなんだけど、「アラサー ピアス」も結構多いです。アラサーになってピアスデビューをしようとして、不安で検索してる人が多いのかなと思って勝手に親近感がわきます。私は今年の1月頃にあけたのですが、消毒をテキトーにやったりやらなかったりしていたら全然穴が安定せず、一昨日ピアスホールの後ろあたりから突然血とリンパ液が大量に出てきまして、触ってみたらプニプニしてたんで、ググッてみたら「肉芽」というデキモノっぽいです。ピアスという異物を除去しようとする身体の働きでできてしまうニキビの親玉だとか。早速対処療法としてググッてでてきた「ホットソーク」をしてみました。免疫力を高める為に塩を溶かしたお湯に患部をつけて15分じーっとしてるというヤツです。ダイニングテーブルに突っ伏して15分も片耳をボールに浸してじーっとしてると、新聞も読めないし携帯の充電も無くて、湯気で温まってきた脳みそはひとりでに空転しますし、とにかく惨めなので色々なことを考えます。みんなこういった惨めさは10代の時に経験して終わってるんだろうなとか。本来ホットソークって「明日のテストやばいのにぃ~><」とか、そういうキラキラしたことを考えながらやることじゃないのとか。そもそも私は「肉芽」も「ホットソーク」もさっきググッて初めて知ったのに、10代でピアス開けたやつらはおませな親友とか部活の先輩とかエッチなおねーちゃんとかに教えてもらったりしたんだろうなぁクソとか。そのような私が夜中に「アラサー ピアス」でググッてきたお前に言いたいことは、いいから空けろ、そして苦しめです。