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ときめかない日記

腰から肩まですらりと細い体に小さい頭が乗っている。オシャレな身体のつくりをした男が、私の脇をすり抜けた。「かえりですか? どっかいくんですか? 待ち合わせ? なにしてる人?」目の前を歩いていた派手目な女の子に声をかけてる。ナンパだ。あーあ、「背後からの声かけは怖がられる」「質問攻めはマズイ」ってナンパ師のブログに書いてあったで。案の定女の子は、男なんていないようにさくさく歩いていく。これがナンパ師用語で言う「ガンシカ」か、などと感心しながら、今まさに私はナンパ師に「ガンシカ」されたのだなと思った。

 

会社からかなり歩いてサブカル本屋に着く。途中の銀行で降ろすつもりのなかった金を降ろして、はりきってきたけど怖い。作家が作った雑貨だとか間接照明だとか控えめなボサノバ調のBGMだとかちょっと高いリュックだとか。この空間で自由に呼吸をするには私は、サブカル度もオシャレ度も足りない。おまけに若さも読書量も知識も学歴も才能も人脈も感受性も恋愛経験も社会的地位も金も特別な悩みも年相応の経験も孤独も不幸もトラウマも病もなにもかも不足している。それでも置いてある本だけは私にも開かれている。本は私をガンシカしない。どんな人でも開いて読むだけで私に話をしてくれる。途中でやめるのも自由。本サイコー。店内を五周ぐらい回ってフラフラになったけど、どうせなら閉店まで居ようと哲学者コーナーで鷲田清一の本を物色していた。「好きなんですか?哲学とか」。疲労と空腹と妄想のしすぎでついに幻聴が聞こえたかと思った。けれど声の主が隣にいた。オシャレじゃないけどダサくはない。細くもないけどデブではない。イケメンじゃないけどブサではない。若くないけど年寄ではない。能町みね子の「ときめかない日記」に出てくる出会い系のSEにそっくりのその男は、なんだかとっても、「実際的な私の彼氏」という感じがした。しかも第一声が「好きなんですか?哲学とか」。なにそれ完璧。130点満点ワード。今後の会話の動向如何によっちゃほいほいラインのid渡すわ。それで夜中に中島義道だとか善悪だとか性欲だとか創作意欲だとか、あと明日のパンが無いだとかの話をどうか私としてくださいお願い本当は本だけじゃ本だけじゃ嫌なの。

 

「好きなんですか?哲学とか」「はぁ。中島ギドーとか好きなんです(ナンパキターwwww)」「中島…? へぇ、知らないなぁ」「(…まぁ、妄想通りにいかないのが現実だよな…)この『カイン』という本が好きなんです」「影響されてるんですか?」「影響というか、その時々の自分の考えていることと合う哲学者の人を常に探していて、で、今は鷲田清一さんが気になっているという感じです」「へぇ。どんなお仕事をされてるんですか? 僕はずっと予備校講師をしてたんですけど」「(ヤベッ今まさに『予備校講師は敗残者のニオイのする職業だからオレに合ってた』とか言ってるオッサンの本渡しちゃった…早速微妙なカードを切ってしまった…)そうなんですか」「だけど、今の仕事に出会ってとっても幸せなんです。その仕事の関係で、奥さんとこっちに来てるんですけど」「(奥さん!?!?)」「●●●●●●という仕事をしているんですけど、ふふふ、素晴らしいワークショップでみんなで内観が意識が自分の生き方がどーのこーの羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」

 

自己啓発セミナーの勧誘だった。