ストーカーの才能

渋谷ハチ公前が観光スポットになるのは、「ハチ公前で待ち合わせをする」という「物語」を無意識になぞっているからだ。物語がなければ、きっとあの汚い犬の銅像にはなにも感じないだろう。この世界は各々の物語で創られている。だから私が最高の離婚のロケ地中目黒で、物語の残り香をなぞって、一人でニヤニヤと走りまわっていてもなんらおかしくはない。おかしくはないはずだ。

駅から実在するクリーニング屋まで歩いたり、クリーニング屋から灯里ちゃんのアロマ店まで歩いてみたり、宿山橋で諒さんとバッティングするシュミレーションしてみたり、ゆかさんがデートに使っていた「すぱじろう」を覗いた。みつお君は毎日さぞ憂鬱な気持ちだったのだろうと、下ばかり向いて歩いてみた。最寄りのスーパーの日用品の値段を調査した。老舗の八百屋が隣にあるので青果コーナーが無いことを知った。不動産屋で部屋の値段を調べた。みつお君の大体の年収を予想した。ツタヤでみつお君がぶつかった18禁棚入口のメッシュの壁を撫で、マイナー邦画のラインナップを調べていた時、ふと、自分がなにかに似ていると思った。そうだ。これではまるでストーカーじゃないか…。足もとを見ると「川の底からこんにちは」が8本あった。満島ひかりちゃんが映画監督と結婚するきっかけとなったマイナー邦画が8本も。私は確信した。桜が嫌いなみつお君が桜の名所である中目黒に家を決めたのは、ツタヤのラインナップが充実しているからだ。そうに違いない。自分が常軌を逸しているのではないかという不安は、やがて霞がかって見えなくなった。

灰色の空を見上げると、無数に張り巡らされた細い木の枝の向こう側に、みつお君が腰にカラフルな風船をまきつけて飛んでいた。ここはみつお君の夢の中だ。スペシャルの手紙に書いてあった、目黒川の上を飛ぶ夢だ。みつお君は観念したように手足をぶら下げ、早口でしきりに文句を言っているがよく聞こえない。一緒に飛んでいるゆかさんは、遠くを指差してはしゃいでいた。