挫折の季節

バイト先A(接客業)にあんま仕事しないオシャクソサブカルイケメン大学生がいて、仕事しないので「桐島部活辞めるってよ。が好きだ」の話になった。どっかの批評サイトからパクってきたの丸出しの「キリストで暗喩でゾンビでカーストがどーのこーの」と語るのを、へぇーうんうんと熱心に聞くふりをして、「で、誰に感情移入して見てるの?」と聞いたら、期待通りの東出君だった。私の観測範囲内で桐島サイドに感情移入してる人を初めて見た。他者だ。というか毎日他者と接しているはずなのに、彼ら彼女らをはっきりとゆっくりしっかりと「他者だ。」と認識する瞬間は案外少ない。なんとなく話通じないからって突き放すように「他者だ!!」と思ったりはするのだけど、その時は「他者だ。」と思った。映画自体の解釈もまったく違って、「映画部」を未知の外部からやってきた害悪にして己の価値改革の福音のように語るので、なんかスゲェと思った。

 

彼は漫画が好きで、私が以前出張編集部に持ち込みして玉砕した雑誌の新刊がお気に入りらしい。漫画って漫画好きな人しか読んでないと思ってたんだけど、漫画好きな人の中にも死ぬほど色々な層があって、それはこのブログでも多分そうで、ひとたびなにかを書いたら、相容れない価値観や境遇を持ってる人にも届くのかもしれない(既に届いているのかもしれない)と改めてきちんと感じた。興奮すると同時に凄まじい恐怖が私の身体を貫いた。こんなに違う人に読まれるなんて、ひていされるかもしれないんだ。きらわれるかもしれないんだ。むしされるかもしれないんだ。こわい。私はみんなに好かれる「べき」で、愛されないと存在してはいけないのに。

私の全人生のあゆみを止めているものの正体が影絵のように浮き出てくる。それは両親でも妹でもなく、「傷つきたくない」というあまりにも凡庸な気持ちだ。あ~傷つきたくない、あぁ~傷つきたくない。ってちゃんと書いたら多少マシにならないかなと思って書いています。