アラサーだけど初めてピアスあけました

「朝焼けの教会みたいに想い出す初めてピアスをあけた病院」

という穂村弘の短歌が大好きなのだが、私には想い出すべき病院がなかった。ピアスをあけたことがなかったのである。

私は私の教会として、ネットで評判の良かった美容整形クリニックを選んだ。醜形恐怖の気があり、もしかしたら近い将来お世話になるかもしれないので、雰囲気を偵察しておきたい思惑もあった。パッと見はいたって普通の病院と変わらない。しかし、受け付け横に「舌に噴射するとセロトニンが分泌されて空腹感が軽減される薬デス!! ¥9450」という近未来SFディストピアじみたPOPを見つけて、完全に怖気づいてしまった。ここにくる人達は本気なのだ。マジ本気MAX100%で美を追求している人達だ。私は果てしない美への道の入口だけを見て、必要以上に怯えていただけだ。サーセン。整形はもうちょっと考えます。冷や汗をかいていっそうモッサリした私にも、優しく対応してくださったスタッフの方達は、「ヘルタースケルター」みたいに同じ系統の綺麗な顔をしていて、やはりこの人達もみな整形しているのだろうか…などと思った。

さて、カウンセリングも含めてものの10分程度で終了した処置は、想像していた以上に痛かった。事前の説明書には「耳を弾かれるような痛み」と書いてあったのに、ガッツリと肉を貫通した感触がした。痛い。自意識を甘やかすことばかりにかまけてきたせいで、私の肉体はすっかり錆びついてしまったようだ。少し動かし、末端に小さな穴をあけたくらいでこんなにも痛みが伴う。

大人になってから初めてピアスをあけることは、10代のそれとは意味が異なる。私の年代では、ピアスを「あけてる人」と「あけてない人」の間には、暗くて深い溝が存在している。10代のような「オシャレをもっと楽しみたい」だけでは、最早この溝を越えることはできなかっただろう。いや寧ろ、あの頃「オシャレをもっと楽しみたい」リリカルビッグウェーブにきちんと乗れなかったからこそ、この長すぎる助走が必要だったのかもしれない。踏切台は、現状の自分への深い憎しみだ。ブッ殺す。ショボイ自分をマジ殺す。(五七五)まるで自傷行為のあとのような薄暗い快楽とは裏腹に、私の耳に見慣れないきらきらが輝いている。